寝食を忘れるほどの集中力がある時はそれ以外のことに意識が向かない、つまり雑念が浮かばないので心地が良いものであったりします。
気力不足というものは実際に体に動かしたりして体力を消耗した時に起こるものではなく、どちらかというと意識的な情報が錯乱した時、意志決定やペース等々を振り回されたりした時、意識に上っているか無意識の底にあるかということに関わらず、ずっと気がかりなことがある時に起こったりします。
そうした状況にある時に「体力は消耗すれど精神はひとつのことに集中している」という感じになると、表面的な体力的消耗とは裏腹に自分自身が回復していったりします。
精神がひとつのことに集中している時
「どうしようかな」と迷ったり、「後でやっておこう、後で決めよう」とか「ペース配分を考えたほうがいい」と思っている方が気力の低下という意味では疲れてしまうことがあります。
体力としてはやらない方が温存できるということにはなりますが、気力の消費という意味では、気がかりを残しておく方がよりいっそうハイペースで消費してしまうことにもなりかねません。
精神がひとつのことに集中している時は、意外とそれほど疲れを感じたりしませんし、気力という面で言えば本当に疲れ自体がそれほど起こらなかったりします。
「今日はこのくらいにして…」というペースを考えている感じもそれで通じる場面がありますが、モノによっては翌日に続きをやろうと思った時に頭が真っ白になって最初の数時間全く手が付かないという感じになってしまうこともあります。
創造性や意志決定の要素が強いものの場合
物を動かすとか決まりきった作業をするということならばいいですが、創造性や意志決定の要素が強いようなものは、一度中断すると次には思い通りに続きをやることができなくなってしまうというものがよくあります。
なので、寝食を忘れるレベルの集中力が生じているときには、「次の日のことを考えて」などと中断しないというのが最も合理的な事の進め方という感じになっています。
そのようなことをよく示している作品として、藤子不二雄A氏の「まんが道」があります。
実家ででもいけるだろうと思って、帰省してみたら「頭が真っ白になり締切に間に合わない」という感じは、とてもギクッとしてしまいます。
腹が万全ならば体力の限り集中が続く
徹夜して仕上げるほどの集中というものは心地よさや誇らしさの面でも他に代えがたいものではありますが、「飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて」となると、必然的に腹を壊すことになります。ということで個人的には腹具合にだけ少しは意識が向くことになりますし、ある程度ペースを考えてしまうという場合もよくあります。
ただ、何故か集中し始めると便意がしてしまうという癖があります。とりわけタイピングやベースの演奏等々、指先を使いだして集中しだした時に起こります。指先を使うと腹が動くということは聞いたことがあるような気がしますが、集中して腹を壊す前に「腹的にも準備をしておこう」ということなのでしょうか。
ということで、そんな感じで準備が整い、腹的にも万全ならば体力の限り集中を継続することができます。
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飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて集中するのはいいが腹は大事にしよう。
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