「名」は何かを区別し、他との分離を引き起こします。それは基本的に便利なものですが、個という執著をもたらすものにもなりえます。
言語を用いない自然界は「無名性によって構成された世界」ですが、それでもやはり視覚や聴覚といった別のベクトルで区別がなされていたりはするでしょう。そんな中でも記憶の組み合わせから起こる言語的な判断が無い分、分離の感覚は少ないと考えることができます。
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名があることによって起こることは良いことばかりではありません。名を印籠のように用い、名があることによりより蓋然性が高まる、信憑性があるかのように感じてしまうというような部分もありますし、我が事としては名によって様々な制限が起こり、また、執著を生み出してしまったりもします。
社会的な領域における証明、一貫性や信憑性の面で多少なりのメリットは合ったとしても、「誰が言っているかは関係ない」というような領域においては、無名性により、より抽象化され、より純化されている方が良い場合も多々あります。
貪りの世界に変わったもの
無欲な「無名性によって構成された世界」から我執が色濃く反映された貪りの世界に変わったものの代表例はインターネット空間ではないでしょうか。
かつて個人サイトにしても掲示板にしても、個としての一貫性の有無はありましたが、それでも動機が内発的であり、個人としての思想感情の表現や議論による思考鍛錬が基本であり、いいところ自己顕示欲の充足くらいの意図しかありませんでした。
その後、広告収入などが得れるという構造ができて個と収益が結びつき、ただの売名行為のみならず貪りのエッセンスが注入されました。
それは黒のように色濃く、微量でも色彩を侵食し、世界を埋めつくすものになりました。
心理学的に捉えると「アンダーマイニング効果」が働いたということになるでしょう。
結果的に「楽な方」を選ぶようになり、再編集という名の「転載」によって量を稼いだものが稼ぐという構造になりました。
それはまるでアダムとイヴの林檎のようなものです。
一部の人達にとっては、地域差などの影響なく能力を発揮できる場所が生まれたということになりますが、他の一部の人達にとってはただ貪りが加速したというだけの結果になりました。
報酬や費用の一回性
ある程度の期間的な幅があるのはやむを得ませんが、こうした報酬やその逆の費用は、なるべく一回性を持つもののほうが心を護ることができます。
近年の常套手段は「都合よく撒いて、抜け出せない程度になった時に条件を変える」というものです。
それは経済社会の中でも蔓延していますが、特に経済に関わるものでなくとも、日常のいたる所でそんな構造を持つものを発見することができます。
そんな中で貪りは加速し、抜け出せなくなる前までに慣れ親しんだ方法、そして名に縛られていくようになります。
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その場限りで終わり、流れていくのであれば、名もまたその場限りです。
名と制限
名についた属性は大抵の場合、ただそれを制限することしかありません。
その名についた関係性や一貫性はその他のものにとって、時に「本人」にとって都合が良いものとなり得ますが、やはりそうしたものは、この心を縛り、苦しめるものにもなります。
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自分が自分であることの逼塞感に疲れた時は、無名性によって構成された世界に飛び込むのが良いでしょう。
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