ある人は不良で悪意のある息子から、まる一日ひどく責められたので、晩、息子を打ち殺し、深く息をつき、残りの家族のものに言った。「そう!これでわれわれは安心して眠れる!」― 環境はわれわれをどこへ追い立てることができるのか、われわれは何をしっていよう! 曙光 336
ここで少し家族について触れましょう。
家族仲はいいのですが、昔から家族という組織が嫌いです。
どういう意味で嫌いかというと、煩いの方が多いからです。
ノイズとしての影響が多いというような感じです。
昔から独立心が高いため、性格的には家族からの影響はあまりありません。どちらかというと両親よりも両祖父母からの影響が強いでしょう。
家族を理由にしない
とは言っても、やはり影響は受けています。その影響を脱するか否かが生活の大半の煩いが無くなっていくか否かの要だと言っても過言ではありません。
キーポイントは、何かにつけて家族を理由にしないことです。
周りの人の状況に一喜一憂してはいけません。憂うのもダメですが、喜ぶというのもやめておいた方がいいでしょう。
家族を理由にすれば、何かが許されるとか、家族を理由に何かを諦めるとか、そういったことは家族のせいにしているだけで、理由はもっと深いところにあります。
そういう意味で、「絆」などという言葉に感動などはしてはいけません。
苦しい時に相互に助けあうというのが完全にそれだけで叶っていればいいですが、たいていはどちらかがもう一方にタカっているだけです。
自分がいないとダメだ
もっとダメなのは頼られているということを自尊心の条件のようなものにしていることです。
「自分がいないとアイツは駄目だ」
というのは最悪のパターンです。
世間では誇らしげに語られますが、自分を相手の条件に、相手を自分の条件にしています。自分がいないと相手はダメになる、ダメな相手がいないと自分の誇りを保てないというような状態です。
会社組織でも、社長が不在でも会社の運営が成り立つという状態が良い状態です。
社長が自分の力量を自慢している場合ではありません。
一人会社なら別ですが、多数の従業員を抱える会社なら、自分がいなくとも運営が成り立つというシステムを作るのが社長の仕事です。
家族の意見を全て無視
家族の意見は全て無視しても大丈夫です。
全員無事に生命活動が維持できていますから、大丈夫です。
誰かの幸せはその人が自分で見つけて自分で感じるものです。与える必要はありません。与えても構いませんが、与えることが「必要」というわけではありません。それは厚かましい話です。全知全能気取り、ゼウスにでもなったような気分になっているだけの傲慢です。
何かにつけて「責任」という言葉を気安く使う人がいます。
しかし責任というものは、究極的には各々が自分自身にだけ持っているもので、人に押し付けるものではありません。
法律は社会的な視点からの解決策です。金額で換算されるものは金額で換算されるでしょう。
しかし、それには絶対性はありません。時代時代、正当性が変わればいくらでも変わっていきます。
人に責任のようなものを押し付けてくる人はたいていその人の都合、特に感情的な都合で押し付けてきます。
しかしながら
「そう思うなら自分がやりなさい」
の一言で終わります。
夫の責任、妻の責任、親の責任というものは実はどこにもありません。一方がもう一方にタカっているだけです。法律でも「そんなことは国家に言わずに先にあんたらでなんとかしなさいよ。義務違反でお金を渡しなさいという『命令』はできるけど、それ以上のことはできないよ」というような取り決めです。その命令も、預金や不動産などの資産を押さえられる前に全て現金化して逃げられれば、回収は不可能です。
相手の要求を断る自由
そういうわけで全て無視して構いません。
それでモメるなら、一人で出家することです。
あれこれどんなことを言われようが、自分の意志だけで、全てを捨ててどこか遠くで一人で新生活を始めることは、誰にでもできます。
生まれたての赤ん坊でもない限り、小学生でもその気になればできることです。
まして五体満足の大人なら、いつでも好きなタイミングで全てを捨てて体一つで新生活を始めることができます。刑務所に入っているなど、力強い権力に物理的に拘束されていない限り、その自由は誰にでもあります。
そうなると相手の要求など、いつでも断ることができる自由があることがわかります。
例えば両名の結婚をどちらかの親が認めないとか何とかいう話があったとしても、二人で親の影響がないところでゼロから家族になればいいだけのこと。連絡先も教えずに、親とは絶縁して暮らせばいいだけです。
いざという時、親に頼ろうという気持ちがあると、それができませんね。別に結婚など制度だけの問題です。二人で暮らして子作りすることもできます。
環境の変化を恐れたり、誰かを意識して「できない」、という抵抗感だけの問題です。そんなことは意識の問題であり、物理的な制限はありません。
誰にでもすぐにできることです。
われわれは何ができようか? 曙光 336
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