思えば僕も勤め人時代は資格をよく取得したりしました。勤め先において求められているものがほとんどですが、「まだ学生時代のお勉強感覚が残っている間に」と思い一気にたくさん取りました。
こうした資格の取得に関してよく通信講座とか対面の短期集中講座のようなサービスを提供しているところがあります。
ただ、よほどの難易度のものなら専門の塾のようなものがありますし、とりわけ通信講座なんかは何だか中途半端で、しかも高いという印象があります(本を買っている方が安いという印象があります)。
「資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性」等々で、こうした資格について触れたりしましたが、今回は通信講座等々に記載されている資格取得講座について、多少なりとの違和感があるので、それについて触れていきます。
「資格」で夢だけ見させるな
まず第一に「資格」で夢だけ見させるなという点が一番の違和感です。
その奥には「今の自分よりも立派な人間になろう」という思いを踏みにじるなというようなものがあります。
勝手な想像ですが、あまり環境に恵まれず低所得状態にある人なんかが「勉強は得意じゃないけど、今の自分よりは少しくらいは立派になろう」と思って、何かしらの資格を取得しようと思ったりするとしましょう。
そうした時に、資格を取得して本当に少しばかりは良い待遇の職に就けるのであればよいのですが、「資格ビジネス」として展開されているようなものに騙されるような形で「取得しても何の意味もなかった」という結末を迎えるとしたら、お金と時間と「一念発起」を奪われるような構造になってしまうわけです。
運営側は、受講料を取るようなビジネスとして「成功」かもしれませんが、受ける側の人にとっては思いすらも踏み躙られているわけです。
「何とかアドバイザー」というようなものを短期間で取得しても、そうした分野の国家資格を持っている人が登場すると、何の意味もなくなってしまうという構造はよくあります。
ボールペン字や水墨画教室など、趣味でやるようなものは、それを受ける人も趣味のようなものなので好きにやってもらえばよいですが、何かしら「職に繋がる」と錯覚させるようなものはいかがなものか、と思ったりするわけです。
その資格が役に立つかという判断や理解に関して
「それがどの程度役に立つかという判断は受講者側にある」というのは簡単ですが、そうした判断や理解すらも前提となる知識が必要になります。
その知識をどうやって得ればよいのか、という部分について先に通信講座を開けばどうですか、とすら思ってしまいます。
例えば、劣悪な家庭環境だったゆえに家を飛び出して、何とか一人暮らしで生計を立てている人がいるとしましょう。そうした場合、判断材料をくれる大人があまり周りにいなかったという可能性もあるわけです。
年齢を重ねていけば、「それくらいは知っているだろう」ということになり、親身に話をしてくれる人もいなくなります。
で、その人が、今よりは立派な人間になろうと思って何かしら勉強しようと思ったりした時に「資格ビジネス」に騙されてしまうというのはいただけません。
よくわからない通信講座の案内文に「その資格を取ればどの分野でどのくらい待遇が変わります」というものを加えてみてはいかがでしょうか?
例えば事務系の資格であれば、事務職でどれくらい採用されやすくなるとか、どれくらい給与アップに関係するとか、そうしたようなものです。
事務ならまだしも、資格など必要ないような分野にもかかわらず資格ビジネスを展開されると、その資格を取ればその分野の仕事に就ける、逆に言えば資格がないと就けないというような印象を与えます。
こうした点を見破るには知識が必要になりますが、知識がないという場合でも大丈夫です。
ハローワークや人材会社等々、就職関連の専門の人たちに聞きに行けば、ある程度の傾向を教えてくれるはずです。
でもそれすらも一つの知識となります。
あまりよくわかっていない家族や友人に相談してしまうか、ひとりで何となく想像してしまうのが関の山です。
事件なら警察、火事なら消防、と同じような感じで、ある程度専門的に知識を持っている人に相談に行くということで防げます。
とりわけ通信講座の場合は、そうした実際の業界についてのリアルな話や相談ができません(対面の講座で相談ができたところで、その情報も怪しいですが)。
働いてから資格を取得する
何よりこうした資格ビジネスに騙されないようにするためには、まず「働いてから資格を取得する」という順序にするというのが有効的です。
その待遇を良しとするのかどうかはわかりませんが、アルバイト程度であれば、どの分野でもたいてい入り込めるはずです。
そしてリアルを見ながら資格が有効そうなら、働きながら取って転職するという形でも良いのではないでしょうか。
アルバイトですら入り込める仕事がない
そうなると「何とかアドバイザー」とか「本当は資格なんていらないですよ検定」のようなものに関しては、最初からアルバイトですら入り込める仕事がないということに気づくかもしれません。
つまり「仕事として成り立っていない」ということになります。
もしくは多少成り立っていても「アルバイトを入れる余裕のないほどの事業規模にしかならない」ということになります。
ということは、資格を取得しても、仕事として成り立たない、もしくは、ほとんど稼げないということになりますし、同時に、勤め先がない、ということになります。
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もちろん毎度のことながらこれは夢を潰すということではありません。
せっかくの「一念発起」を資格ビジネスの収益のために踏み躙られないようにし、良い結果を受け取るために、というようなことになります。
何かしらを学ぼうということは良いことですし、何より「今の自分よりも立派な人間になろう」という思いは、すばらしいものです。
なので「その思いとエネルギーを有効に使う」という意味で、よくわからない資格には手を出さないでください、というようなことを思っています。
お久しぶりです。またコメントを残させていただきます。
自分語りになってしまいますが、僕は高校卒業後にフリーターを経験し、その後通信大学を四年間受講して今の仕事に必要な資格を取って、現在その仕事に勤めています。フリーターとはいえ週6で夜勤日勤早朝の勤務などを交えながらの勉強は今思うとおかしいと思えるくらいです。同じことをもう一度やれと言われると、もう無理だと思います。
その資格は普通の四年生大学でも取れます。世の中のほとんどの人は高卒後大学に通ってそうして大学生活を送る傍らで取得して、その仕事に就いています。まだ、この仕事に就いて二年ほどですが、僕のように通信で取得した人に出会えていません。
「今の自分よりも立派な人間になろう」という思いは、通信大学を受講することを決めた当時の自分が持っていた思いです。もちろん、小さい頃からやってみたい仕事でもあったのですが、そこにプラスされ、それが決心の引き金でした。そこから四年間かつての自分とは見違えるように猛勉強と仕事に突き進みました。
四年間のエネルギーの集大成が今の自分を形成しています。通学の大学を経て仕事している人たちとは、自分でも何かが違うなと思うときがあります。しかし、あのときの一念発起があったからこそ今の自分があると思うと何だか誇らしく思います。
通信大学でもやはり入り口では資格による夢を見させてきました。けれども一旦入ると猛烈な量の教科書レポート群。年次が変わるたびに減っていく同期(スクーリングがありますからたまに顔を合わせます)。現実をまざまざと思い知らされました。けれど「今の自分よりも立派な人間になろう」ということでその世界に入って退路を断ち、夢を現実にしました。僕にとって良い経験になりました。同じ経験があり、ともに分かち合える仲間に出会えるのが楽しみだったりします。
コメントどうもありがとうございます。
素晴らしいご経験をお持ちですね。
それだけのことが実現できたのであれば素晴らしいですし、能力の向上の他、高い誇りにも繋がっていることと思います(きっとコメント欄を読まれた方にも力を与えると思います)。
時間はかかりますが、高卒の方であれば、通信制の大学、中卒の方であれば通信制や定時制の高校への進学が最もパフォーマンスが良いと思います(特に年齢が若ければ若いほど、そのパフォーマンスは高まると思います)。
事業の創業等々においては、それらは必要ありませんが、どこかしらに勤めて経験を積んだり、行きたい職種に関係しているのであれば、学校に行くのが一番です(学校によってはそれほどお金もかかりませんしね)。
期間はかかるもののその価値は、それに見合うものとなります(知識の習得や学歴といったものだけでなく、その場所で出会う人達との交流も含めて)。
「学校に行っても意味がない」という人も出てくるかもしれませんが、そういう事を言う人は、そうした経験をしていない自尊心が欠落した人たちですから、あてになりません(行かなくてもうまくいく方法を教えてくれるのならば話は別ですが)。
変な通信講座の場合は要注意ですが(実際を調査する必要があります)、行き先が「学校」であるのならば、力が湧いてきた時「価値があるかどうかは、後の自分が決める」という感じで突き進むのが一番です。
ありがとうございます。
おっしゃる通りパフォーマンスの発揮は通信大学や定時制高校などの方が高くなると思います。その特性上「自分を変えたい」「挑戦したい」という気持ちを持っている人の集まりですから。もちろん淘汰されてゆく人たちもいます。ただ、それはなるべくしてなったというか、結局通信のことを軽く見ていたのかなとも思います(ただ、仕事の都合上休学をする人もいるため一概には言えません)。
自ら学び、自ら考え、そうして道を切り拓く。格好つけた言い方ですが、四年間で培われ、またそういう志向の人との出会いは何にも代えがたいものでした。
もちろん、自宅では一人で勉強です。頼れるのは自分ただ一人。そういった状況は自分と向き合う瞬間でもあると思います。
通信での四年間は山登りをしているようでした。辛く長く険しい道のりであると思った時もありました。しかし、卒業、登り切った際に見えた景色は清々しく、澄んだ青空が一面にひろがっていました。なんだかこんな気持ちになります。
もし迷っている方がいたらチャレンジして頂きたいですね。確実に自信につながりますから。
自学自習の能力が高まればかなりのことに応用が利きますのでその後の強みにもなります。
「自分は何に詰まっていて、どうすれば切り開くことができるか?」ということの鍛錬にもなるでしょう。
淘汰されてしまった人たちは、元の意図が弱かったか、詰まりすぎて高みに向かうエネルギー切れを起こしたか、関心が他に向いてしまったか、というところなのかもしれません(何かに詰まったりスケジュール的に厳しくても、本当に強い意図があればクリアしていくはずです)。
きっかけとして「何となく」というのも良いですが、元からあまり目標のようなものがない場合は、おっしゃるような「登り切った際に見えた景色は清々しく、澄んだ青空が一面にひろがっている」というものを想像し、全てをクリアした後のイメージを強めていくというのが良いと思います。
そうしていると、楽しい「if」が始まり、自分でも気づいていなかった自分の意図を発見できるかもしれません。
こんにちは。
最近仲よかった友人との関わりをやめましたが、彼女がこの認定資格講座をビジネスにしていることが原因でした。
そういったことをしている人は信用できないからです。
このようなビジネスには以前から違和感を感じていましたが、身近にやっている人を真横で見て更に嫌悪が増しました。
このような資格講座にお金を費やす人は起業したくて入会すると思うのですが、結局彼女が勝手に作ったよくわからない資格に認定されるだけで、何の効力もないんですよね。
彼女はハンドメイドの教室をやっていて、その道ではまぁまぁ名が知られているようで(本人談なので事実は不明)、その先生のカリキュラムが学べるブランドなのだと。自分の考えたデザインを使ってもらっていいし、自分の名前で商売してもらっていい、10年講師をやって身につけたノウハウを教えてあげるのだからその価値に値すると。
そして卒業後は年会費を払ってもらって継続的にサポートするという典型的なもの。
そもそも資格自体不要な世界ですが、1年程度で必ず先生になれてしまうのも不思議です。
その道で有名な人の名前を借りるというのがこのビジネスの売りだとするなら、わざわざその認定講師から習うより、元の有名な先生から習いたくないですか?
(オンラインで受講できます)。
その先生から習った=その認定講師が同等にすごいとは普通ならないと思うのです。結局はその人から習いたいと思わせる技術が必要で、それってわざわざ認定してもらう必要はなく、ただ講座だけをやれば済む話。
さらに笑えるのが発行されるものが「ディプロマ」。巷ではディプロマとよばれているそうですが、ディプロマは高等教育機関で発行されるもので、実際には「サーティフィケイト」が英語として正しいのです。それもわからないでやっているあたりがほんとにおままごとでしかない。彼女はホームページでもっともらしいことを羅列していますが、実際はカリキュラムが完成していない中スタートし、紙1枚の教科書、動画教材全て生徒の作成ペースに間に合わず催促される始末。
これに生徒さんは30万も払っているのかと思うと不憫ですが、こういった資格にしがみついていること自体、起業は成功しないのではないかなとも思います。
また別の友人はライフコーチならぬものをやっています。彼女は上記の友人とは逆で、認定資格を受けた側ですが、彼女も1年程度でライフコーチを名乗り出しました。過去に心理学を専攻してきたわけでもなく、全くそのような業界で就職したこともありません。
その友人のバックグラウンドを知っているからこそ信用ならないなと思いますが、このような胡散臭いビジネスが蔓延している世の中では、詐欺同様、個人がそのサービスを見極めて後悔しない選択をしていくしかないのだなと感じます。
コメントどうもありがとうございます。
書に関する道が中心にあるような書道教室のようなものならば良いとは思いますが、ビジネスを絡めるというのであれば、徹底的にビジネス目線で捉える必要があると思います。
起業はなるべくお金ではなく自分の頭というか、直感的な知恵、そして行動から得るフィードバックを活用しないとうまくいきません。
学習することはいいことですが、少しズレていますし、そうした感覚だと「消費者」のままです。業務独占ではないような資格や有償サポートに頼るというのもズレています。そうした目線のままなら勤め人のほうが楽ですから。
ライフコーチというようなものもそうですが、そうしたもの以外で一度何かしら事業等々がうまくいってからにして欲しいと思います。聞いたことをまた他の人に伝えるだけならば、「なんか違うな」と思ってしまいます。
まあ「ライフ」なので、人生の多岐にわたる点なのでしょうが、きっと古本屋で100円の本にも書いてあること程度だと思いますよ。
まさにその協会なり、講師なりの「消費者のまま」ですよね。
認定講師資格は、すごく日本らしいやり口のビジネスだなと思うのですが、アメリカの友人に話したところ、ピラミッドスキーム(ネズミ講)まがいであるため、アメリカだと違法の可能性があるそうです。
ライフコーチの友人に関しては、先程確認すると、占星術、数秘、心理学コーチの肩書に変わっていました笑
占星術。去年はまだ手もつけていなかったはずですが?
ちなみに普段はOLです。インスタでしか活動を見かけません。
先に名乗っておく新たなタイプでしょうか。
これから★bossuさんのブログ読ませていただきます。
再度コメントありがとうございます。
教える系、コーチ系は、結局、需給の関係でそれだけでは収益が上がらないビジネスモデル、領域だからこそ、「資格ビジネス」「教育ビジネス」として蔓延しやすいという感じになっています。
それを学んだ人が、学んだスキルだけでは食えないからこそ、他の人に教えるということをサービスにする以外に、お金に変える方法がないということになります。
なので、結局「ババ抜きの『ババ』の押し付け合い」になり、ネズミ講のようになってしまうという構造を持っています。
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「先に名乗っておくと、その通りの人間になろうとする」というようなコーチング系でありがちな心理テクのようなものになると思います。
いつか目が覚める時が来た時、その時は赤面してしまうかもしれません。
慈悲の心で「水に流していつでも帰っておいで」という温かい目を持っていてあげてください。
哲学的でおもしろいですね。
今はどちらかと言うと冷ややかに外から見ていますが、悟りを開いて慈悲の心を持てるようにします。