「男と女」タグ創設記念として、被虐と解放というものを中心にモテテーマでも書いていこうと思います。被虐とは、もちろん虐げられること、虐げを受けることを意味しますが、そうした被虐に対する無意識の欲求を解放するというような感じです。
いきなり怪しそうな被虐と解放というタイトルにしましたが、声を大にして言っておきたいことがあるのでストレートなタイトルにしました。
それは非常に単純で、勘違いサービス、つまり本質からズレたような加虐者もどきがあまりに多く、寒いからです。
よくある事例としては、女性から「私、Mなの」という言葉を聞いた瞬間に横柄になる寒い男です。
「そうかMなのか、では虐めてやる」と、モテを勘違いし、あわよくば自分の都合の良いように遊ぼうとする非常に寒い男がたくさんいるので、警鈴を鳴らしておこうと思った次第です。
コロコロコミックを馬鹿にし、少年ジャンプだけがカッコイイという感じで「スラムダンクが流行ればバスケットボールに手を出した」ようなタイプに多いでしょう。
また、京都においては、神護寺にて「かわらけ投げ」が二枚一組で100円のところ、十枚も購入して「肩の強さ」を自慢しようとする角刈りのおっさんにも多いと思います。
そうした人たちは、自分がモテることを目指しており、○玉の都合、自分の都合の目線のみで加虐と被虐を捉えています。
無意識を解放する
世の中では、どうしても社会的にどうあるべきか、人としてどうあるべきかということで、倫理や道徳を基準として万人に共通の価値観を形成しようとしてしまいます。
しかしながら、そうした「人とのかかわり合い」の中で抑圧された無意識的な衝動、もっと単純に言えば欲求が蓄積しています。
そうした抑圧された欲求は、義務教育的な倫理基準では解放されることはありません。
社会の中の不必要な差別を無くしていくのは正しいのですが、「圧倒的な力の前にひれ伏してお仕えしたい」というものを無意識で持っているケースもよくあるのです。
草食系は優しいわけではない
「草食系の優しい人が増えた」という意見もありますが、確かに日常生活においては草食くらいのほうがストレスはありません。
しかしながら、そうした草食系の人が真の意味で優しいかといえばそうでもありません。
なぜなら優しさとは、その前提に強さがなければならないからです。
社交辞令的なやり取りの中で横暴さが無いというところはいいですが、「あなたに合わせますよ」という一見優しいかのように見える言動は、裏側で「選択のストレスを相手に与えている」という側面を持っています。
「決まっていることをやりこなすのはまだ大丈夫だが、思い切って決めることができない」
案外そんな人は数多くいます。
会社の中でも言われたことしかできない人しかいなかったら成り立ちません。だから取締役たちが決めていくのです。ということで、取締役は役員報酬が高いのです。
「みんなに合わせる」というのは雇われる側の気質です。
会社でもリーダシップが求められるように、圧倒的な力と潔さ、そしてその裏にある責任感があってこそ、という感じです。
「トイレが汚れるから座っておしっこしろ」
と言われて、それに応じているのはなんだか優しそうですが、そこに魅力はありません。
それは社会的には正しさを帯びるのかもしれませんが、自分の言うことを喜んで聞くような男に用はないのです。
意識の裏側
そして、表面的な要望をこなすことと、意識の裏側まで見抜いて要望を抽出し、解放することは別物です。
絶対的な力に包まれること、抑圧されたものを吐き出すこと、そこに無意識の解放があります。
だから単に加虐と被虐だけの関係ではないのです。
「私、Mなの」と言われて、横柄に横着に偉そうに振る舞う、それは単に表面的なことを見てそれっぽく振る舞っているだけのこと。
寒いにもほどがあります。
明治の頃ならば男らしい男がたくさんいました。
男尊女卑自体がいいとは思いませんが、力や責任感、決断力の上では、草食系とは対極にあるものだったことでしょう。そうした時代であれば、男女共に精神のバランスが保たれていたはずです。
ところが、小さい時に絶対的な力を持つ父や父にあたるような人に包まれたときの畏怖に比例した安心感はどんどん無くなっていきました。
叱られることで感じた自分への興味とそれで確認した自分の存在感、そうしたものを情動の記憶として持ちながらも、それを失ってしまった人たちの無意識的な渇望があります。
社会的な倫理観や常識としてのルールの中で、そうしたものを解放できずにいるという状態です。
表面上は正しくても、本当の意味のコンフォートではない、そうした柵の中で精神のバランスを崩している人が案外多くいるのです。
そしてそれを加虐と被虐というものをもって解放するのが正しいのです。
そしてさらに、個々人によって経験が異なり、求めるものは大きく異なるはずです。だからこそ、画一的な方法論はなく、解放すべき対象はバラバラであるはずです。
それがわかっていれば、相手に対する態度は画一的にはならないはずです。
自己都合の男には対応不可能
そうしたいわば難民の人たちに対応する場合、自己都合しか見えないような男には対応が不可能です。
そこには愛も慈悲もないからです。
究極的に対応するためには抽象的な俯瞰能力が必要になります。
プロギャンブラーの世界では、自分の思考と相手の思考、そして、自分のことが相手にどう映っているかというような俯瞰能力が必要だと聞いたことがあります。
それに加えて、自分の中に映っている相手を捉えることよって「変化した自分」を相手がどう思っているかというところまで俯瞰する必要があるのです。
そうした抽象空間を作り出せないと正確に対応することはできません。
ただ自分の○玉の都合で、「自分でも支配できそうな都合のいい女が現れた」と思うような低レベルの男には絶対に不可能なのです。
軽視された本能
社会的、つまり世間一般の人とのかかわり合いが優先され、本能は著しく軽視されています。
モテを意識して食事を制限するということも、まさに体を無視した自我の判断、それも表層上の浅い思考の結果です。
夜遅くまで嫌々仕事をするというのも同様です。
そのような形で性欲動も軽視されています。
知らぬ間に抑圧され、心身に不調をきたしてしまっているのに、「恥ずかしい」ということで解放されぬままさらに抑圧されてしまっていることがよくあるのです。
自分でも気づいていないような領域へ
抑圧された欲求がどのようなものかは、自分でも気づけない場合がよくあります。
幼少期の経験が原因だという学者もいれば、そんなことは関係がないという学者もいます。
ただそんなことはどうでもいいことです。
自分では気づけ無いことは他人が客観視することですぐにわかりますから。
表面上の言動で判断してはいけない
おそらく最も勘違い野郎を生み出しているのが、表面上の言動で判断するということがなされているからでしょう。
ただの精神的、肉体的な加虐と被虐というものではなくて、その裏側では無意識レベルで膨大な作業がなされていることが見抜けないからこそ、「ただ威圧的に虐めればいいのだ」「権威っぽく振る舞えばモテるのだ」と勘違いされていくのでしょう。
それは座禅を組んでいる人を見て、単に座っていると思うのと同じように、指揮者が単にタクトを振っているだけだと思っているのと同じです。
男がバカにされる理由
男がバカにされる理由は非常に単純で、○玉と自尊心の赴くままに、女子のモテ小技に鼻の下を伸ばすからです。
女性のモテ小技にすぐにやられてしまう人が本気で惚れられることはありません。
水商売の女性は常にこうした感じで、男性をバカにしています。しかし当の男性側は、それでも◯玉と自尊心の充足感によって完全に酔っています。だからさらにバカにされるのです。
そんなバカを尊敬できるはずはありません。だから惚れられることなど無いのです。
しかしそんな女性陣も、心の何処かでは渇望しています。
鼻の下を伸ばすわけでもなく、横柄で威圧的になるわけでもなく、全てを見抜く澄んだ瞳をした絶対者を。
サービス側の本質
さて一方、サービス側の本質としては、悲劇に類似しているような趣があります。
些か文学的になりますが、古代ギリシャの頃から悲劇は、それを観るものが悲劇と同化し、主人公の悲惨な結末や死によって、劇中に触発され、表面化し、蓄積された感情が昇華されていきます。
また、新約聖書における父とイエスのようでもあります。絶対者と贖いという関係性はそうしたものとの類似性を見出すことができます。
そういう意味で、悲劇として贖罪としての構造を持って、無意識を解放する一連のプロデュースをする必要があるのです。
いわば五感と意識をフル動員し、臨場感を高めた古代ギリシャの悲劇のようなイエス・キリストの贖罪のような抽象空間を作り出す必要があるのです。
そこにある昇華へのプロセスの形成やアガペー的な無条件の愛を生み出すことに満足を得るのがサービス側の本質だと考えることができます。
そういうわけで○玉や自尊心を軸にしていては到底相手を解放することはできませんし、自らの満足も低レベルな別物になってしまうのです。
勘違いサービスを鼻で笑おう
そういうわけで、女性から「私、Mなの」という言葉を聞いて、横柄に、そして威圧的になる寒い勘違いサービス男を鼻で笑いましょう。
なぜなら、そういう人はサービスではないからです。むしろメモリーだと思っておいたほうがいいでしょう。
といっても既にそんな人は女性に見抜かれています。
ということで、もしそんなことをしている友だちがいたら、「寒いよ」と言ってあげましょう。
コロコロコミックをバカにし、齧りつくように読んだ少年ジャンプの戦闘モノのモテテクから一歩も進歩していないのですから。
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