「虚飾や虚栄を支える他人の目」ということで、見た目で態度を変える人たちについて、そして、それが影響し虚飾や虚栄を繰り返してしまう人たちの意識の中身を少し覗いてみましょう。
虚飾とは、中身は薄いながらも見栄から外見を飾ることであり、虚栄とは、体裁を気にして栄えているかのごとく振る舞うことを意味したりしますが、共に実質的にはペラペラなまま、着飾ることや高級品を所有することを筆頭に外面だけ飾るということになります。
どこからが虚飾や虚栄で、どこからが相応なのかという問題にはなってしまいますが、苦しみを伴うような負債を抱えたり、着飾ることに没頭するあまり、金銭面を始めとして他に問題が生じているかどうかあたりが、その境目になるような感じがします。
ただ、そうして実質的に実力が伴わないまま外見を飾るということを始めとして、背伸びをすること自体は、自分自身が背伸び後の自分に合わせるようになるという流れを作るため良いふうに働くこともあります。が、たいてい不足を発端とした虚飾や虚栄は悪い方にしか働きません。そして、より高い地点にいる人達に笑われることにもなりかねないのです。
その笑いが微笑ましいというものになる時もあれば、馬鹿にされるという時もあります。その差は概ね「モテようとしているかどうか」という点にかかっています。
そうした点は「虚栄心の原因と心理の裏側」で少し触れていましたが、今回はどちらかというと「見た目で態度を変える人たち」を中心として、実質的に周りの環境が変化してしまうことで加速してしまう虚飾や虚栄について触れていきます。
見た目で態度を変える人たち
かなり前にパーカーでいるときとスーツでいる時で、接する人たちの態度対応が違うという点について触れたりしましたが(優美さがない)、それ以外にも下請け的な立場でお忍びバイトをした時の販売員たちの態度の差を実感したり、ビジネス会合において私服で行くと名刺交換してこない勤め人の人たちなど、見た目の服装で態度を変える人たちをたくさん見てきました。
「中身は何も変わらないのに」
といつも思っているのですが、そうした人たちは見た目で人格や能力を判断し、付き合う人を選んだりしているのでしょう。
経営者が集まる新年会などでは、結構私服の人も多く慣れ親しんだ人たちであれば、スウェット上下で参加してもいつもと変わりない対応をしてくれます。
もちろん中身を知っているからという部分もありますが、百戦錬磨の人たちは「服装には騙されない」という意識があるので、初めて出会う人であってもスーツの時と変わりない対応をしてくれたりします。
逆に「雇われている人たち」においては、けっこう服装で判断をしてきます。
そして判断した上で態度を変えてきます。
そうやって態度が変わってしまうからこそ、見た目に執着するということから逃れることができないという構造になっています。
態度の変化が虚飾や虚栄を加速させる
見た目を豪華にすればするほど、確かに周りの大半の人は態度を変えます。
だから、見た目で判断する人を出だしから威圧したければ見た目を豪勢にしておけば良いという感じになっています。単に体裁を気にして虚飾や虚栄に走るというだけでなく、実際に周りの人の対応が変わってしまうのだから、ローンを組んででも高級品を買うことになってしまうという感じになります。
中身以上に着飾ることは、ある意味相手を騙しているということにもなりかねません。しかしながら、構造的には相手を騙しているという面があったとしても、接客等々商売的なことなのであればプラスに働くので、多少労力を費やすということの方が合理的ではあります。
といっても、何を着ているかとかどのようなものを身に着けているかということは、本質的には個人的な好みもあるので、高級品を使用しているからといって即座に騙すことを目的としていると判断することはできません。
そういうわけなので、本質的には見た目で態度を変えてしまうことの方が問題です。
身につけている「わかりやすいもの」ではなく、目の奥を覗いて心の奥を見抜くようにしましょう。
詐欺師は見た目を利用する
人を見た目で判断してしまうと、詐欺師たちに騙されてしまうリスクが圧倒的に高まります。
真綿に針を包む詐欺師たちは、様々な方法で見た目を利用して騙そうとしてきます。
結婚詐欺なんかでも、高級車で迎えに行ったり、医師などの肩書を装ったりして相手を陥れていきます。
逆に貧困国では、ボロボロの服を着て子供を抱き、お金を恵んでくれという憐れみ乞いをしてくることがあるそうです。他人から子供を借りて、あたかも子育てに困っているような演出をしてお金をまきあげようとするという感じです。
日本においてはあまりそのようなことは起こらないので結婚詐欺の方で考えてみましょう。
結婚詐欺師は詐欺で手に入れたお金でさらに装う
いくら高級車で迎えに来たり、高級腕時計をしていたとして、それが前回の詐欺で手に入れたお金で購入したものだとしたらどうでしょうか?
単なる自尊心の補償というものを超えて、見た目で判断する人たちを騙し、自己都合のために詐欺を働く犯罪者は、犯罪で得た金銭を元として、また人を騙していたりするかもしれません。
人を見た目で判断するとして、持ち物で判断してしまうとしましょう。
その物がどういった経緯で手に入れられたものなのかということは宙に浮いています。
そうして「見た目で判断する人たち」を陥れるべく結婚詐欺師は詐欺で手に入れたお金でさらに装いをしているかもしれない、という可能性は十分にありえるはずです。
お金に関する評価
通常、給与所得しか無い人であれば、お金を持っていそうな人を見ると、大層な能力があるのだろうと予測してしまうかもしれません。
基本的には人のお役にたった分だけお金が入ってくるので、社会的にも立派な人なのだろうという予測が立ちます。
しかしながら、詐欺師のように詐欺で手に入れたお金で購入しているだけかもしれませんし、単に親の遺した遺産で買っただけかもしれないということもあります。職業にしても親が用意したものであるという可能性は常にあります。
人が何かの評価基準を持つと、それを利用すべく何かを装い、演出する人たちが出てきます。
ボランディア活動が入試に役立つということになれば、入試の点数稼ぎのためにそうした活動を自発的にしたかのように装うということにはじまり、胡散臭い人が利用する「お金さえ払えば何もしなくても発行される海外の学歴証明」のようなものまで多種多様です。
マルチネットワークが高そうなスーツを着て「トロフィーの授与式」を行っているのも同じです。
それもこれも未だに後を絶たないのは、すべてそうしたものに評価を与え、そうした評価を元に態度を変えてしまう人がいるからこそという感じになっています。
人の態度の変化に縛られないように
そのような感じなので、単に高級品を身に着けている自分に酔いしれるということだけでなく、周りの人たちが実際に態度を変えたりしてしまうので、「この優越感をいつまでも」という執著が起こってしまったりします。
身だしなみのようなものをキレイにすること自体は何の問題もありませんし、見た目で判断する人達であふれる社会においてはその方が得なことが多いので、好きな格好をすれば良いと思いますが、それで得た優越感のようなもの、人の態度の変化に縛られないようにしましょう。
逆にみすぼらしい格好をして、態度が変わった相手を見て爆笑するというくらいでちょうど良いくらいです。
見た目が変わっただけで態度を変えるような人に、心が振り回されるというのはなんともバカらしいはずです。
そのような感じで、表面しか見えない人には、その浅さに応じて社会を動かす力はありません。
でも、もしまだ試したことがない人であれば、見た目にこだわり尽くしてみて、驚くほど変化する周りの人の対応を実感してみるのも良いでしょう。
その上で「中身は一緒なんだがなぁ」と、つぶやいて
「くだらんなぁ」と思って
そんな態度の変化に縛られないという感覚を掴んでみましょう。
すると様々なことが爆笑の対象になります。
結果的に心はいくらか安らいでくれることになるでしょう。
最終更新日:
いつも貴重なお話しを聴かせていただき、ありがとうございました。
コメントとは言えない内容も知れませんが、私も見た目で感じたことがありました。
大分前になりますが、異業種交流会に参加した際のことです。
一通り名刺交換をしたのですが、名刺に沢山の肩書きを書いてある方と、ほとんど何も書いてなく、
この人は何者?と言う感じの方の2極でした。
言わずとも、肩書きの多い方は自慢話が多く、自分のことと言うよりも、自分はどこぞの有名人と飲み友達だと言う話ばかりです。
お付き合いなので感心して話を聞いていましたが、薄っぺらな感じがしました。
全ての方がそうだとは思いませんが、自分の過去を自慢する、自分の交友関係を自慢する、自分の経験(特に旅行話)を自慢する方と
お話しをしていると、話の半分程度は記憶に残りません。
私の集中力が足りていないのかもしれませんが、どうもそう言う方は苦手です。
身なり、肩書き、持ち物で装う人はあまり信用できないです。
私がいずれも持ち合わせていないので、単純にひがみですがw
また勉強をさせて頂きます。
連日の書き込み、とても勉強になっております。
コメントどうもありがとうございます。
世の中にはたくさんの人がいますので、記憶に残らないような人とお付き合いしても仕方ないという感じで、相手にしないくらいがちょうどいいのではないでしょうか。
以前どこかの記事で書きましたが、年齢的に還暦前後の方が名刺に出身大学と所属クラブを書いていたりしたことがありました。
話のきっかけづくりという目的が半分という感じなのかもしれませんが、40年位前の過去の栄光をいつまでも引きずっている感満載で憐れに思った記憶があります。
ひとまず肩書であろうが交友関係であろうが、それをもって何かこちら側に良いことがあるのかどうかというところがポイントになると思います。
その経歴があるからこそ、何かを成し遂げてくれるとか、料金がお得になるとかそうしたものでない限り、聞いた方は何の得にもならないので、まさに意味がありません。
まさに「それがどうした?」の世界です。
それすらも考えられないようならば、基本的には「コミュニケーションオンチ」になるはずですが、反応する人達がいることと、変に自信があったりするのでその自信に感化されてひるんでしまうということが起こったりして、ご本人の中で「人を動かす成功法則」として成り立っているのでしょう。
特に有名人系は「仲良くなったら会わせてあげるよ系」で釣ろうとしてくる傾向にあります。
感覚で言えば「モデルになれるかもしれない、タレントになれるかもしれない系」で釣る怪しい業者や犯罪者などと同じです。
宴会の司会として呼ぶにあたって料金が10%OFFになるとか、そうしたものでも何でも無いのにそれがどうしたという感じになってしまいます。
世の中にはたくさんいい人がいますので、わざわざそんな人達の相手をする必要はなく、まともな人とだけお付き合いをするだけで良いと思っています。
変に反応すると、相手に「こいつは釣れるかもしれない」などという欲を与えることにもなりますので、ひがみでもなんでもなく反応しないのが一番ではないでしょうか。
仮にしつこく「ひがんでるんだろう?」などという態度を示したりしてきた日には、「関係ないですから」と返しておけば良いという感じになります。
「私にどう関係があるのか教えて下さい」と言えばおそらく沈黙するでしょう。
本当に関係ないですからね。