アイツこと自我とは、何かと何かを分ける機能ですが、ここで重要になるのは差がわかることと、差をつけてしまうことは全く別物だということです。差がわかるのは機能が純化されているだけで、差をつけてしまうのは観念による判断、という思考の産物だからです。
音楽をやろうという時に、耳コピができない人がいますが、僕はそれが信じられません。何十本も楽器があるような曲なら、スコアを見ずに耳コピすることは時間の無駄のような気がしますが、巷にあるような曲で、なぜできないのかわかりません。
例えば楽典を特に勉強していなくても、普通の曲なら12種類しか音はありません。あとはオクターブですから。それにジャズならまだしも、ポップならキーをつかめば使っている音はもっと限定されます。
音階などある程度決まっているので、スケールとしてはペンタトニックなどもありますが、普通なら長調か短調かくらいです。しかもこれらは、キーとなる1度の位置が異なるだけでCメジャーとAマイナーは使う音が同じです。
少し違和感を感じれば半音崩しているだけですからそれもわかります。そんなことを知らなくても、楽器を使っていれば、なんとなく分かることです。リズムも同様に区切りがあります。小節に分解すればたいていわかるものです。
あとは、どれだけ「差」に着目しているかだけの問題になります。一つの音が出れば、次は高いか低いか同じかしかありません。三種類です。休符で無音の場合もありますが、それは横の話です。縦と横に分解できれば絶対にその差がわかるはずです。
わからないのは鈍感だから、ということになってしまいます。感覚派ということにかっこよさを感じて、これらを無視してしまいがちですが、それは学術用語的に説明できなくても楽器で表現できる人が感覚派なだけで、雰囲気だけでなんとかなるというわけではありません。
感覚として、着目するのは、スコア上同じ音符の長さでも、切るタイミングだったり、ビブラートのゆらぎが最初は一定、半分経過からテンポに対して二拍三連、というような場合で、もっといえば、ビブラートは音の高低でゆらぎを作りますが、その高低の幅と高い音から揺れ出すのか、というような点です。
通常の音源は逆にコンプレッサーなどで波形を安定させているのでフラット・タイトな方が良しとされています。ですので、圧縮してもクラシックの楽曲ほどはそんなに影響はありません。
感性を磨くというのはこういう感覚も味わおうということで、差がわかるようになるということではないでしょうか。普通はわかりもしないのに作れるはずがありません。作れるはずがないのに作れてしまうのはソフトウェアが様々な提案をしてくれているからです。
それは偶然の産物のようなものであって、ひとまずペンキでぐちゃぐちゃにキャンバスに塗りたくればそれは芸術か、というようなことと同じことになります。なんとなくの雰囲気で、ぐちゃぐちゃにするのが感覚派の芸術ではありません。言語のラベリングができていなくても体感覚などで差がわからなくてはできるものではありません。
確かにスピーカー特性で、音量が小さければ低音域は相対的に高音域よりは小さくなります。その時にはイコライザーの調整もわかる話です。しかしながら、よくわからないうちは、雰囲気に酔うようにベース音を強調したり、サラウンドのフィルターをかけたりしてしまいがちですが、そういうことはしないほうがいいと思います。
音に集中
音を集中して聞くと、細かいノイズや、ポジション移動の際の弦のスクラッチ音はもちろん、奥行きや空間の広さまで感じるようになってきます。和音のゆらぎもたくさんわかるようになります。そこで、スピーカーとイヤホンでは、かなり異なって聴こえるはずなのですが、もしかしたら聴く人によって、頭が勝手に補正して認識させるようになるのかもしれません。
よく「そういうことは理論上ありえない」というようなことをいうような学者がいますが、それは物理上の問題なだけで、確かに、そのような波形ならそのようにしか認識しないであろうというのがあったとしても、耳で受け取った後の機能はその人次第で、被験者の脳内で起きる法則性が他の人に適用されるかは疑問です。脳内で起こった現象を心が認識しているという領域にまでいけば、完全に科学の限界を超えています。
基本的に自我機能が低下すれば、音を含めて感覚は研ぎ澄まされます。これを薬物の作用でなんとかしようという人がいますが、そんなことはする必要がありません。自我機能が低下するということは、「判断」など、観念による解釈を入れずにストレートに受け取るということです。
それは、力を抜いて集中すれば簡単にできます。ただ、疲れます。普通は逆のパターンを味わっています。音によって自我機能を低下させているので、眠くなったり気分が良くなったりするだけです。音楽という刺激を受けて、思考を弱めている状態です。その逆をやってみてください。ストレートには味わえますが、「もしかしたら静寂が一番いいのではないか」、と思えてくるはずです。
聞こえる音の範囲、つまり可聴域というものは人によって異なっているようで、本当に周波数レベルで高音域が聞こえていないということもあります。しかしながら、注意が向いていないためにその音が鳴っている事自体に気付いていないという場合もあります。
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