Ludwig van Beethovenがくれる勇気

僕が最も好きな音楽家の一人として、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)がいます。

不器用ながら器用、そして器用ながら不器用で、絹のような旋律よりもデニム生地のような、それでいてしっかりとなめらかな「縦にバンバンバン」とやる感じが、玉サブローのようで好きです。

玉サブロー 七色いんこ©手塚治虫

玉サブロー 七色いんこ©手塚治虫

最近、ベートーヴェンの楽曲と合わせて、手塚治虫氏の「ルードウィヒ・B」に出てきた「一つのモチーフをどこまで展開できるか」というような感じのことに背中を押されたような気分がしています。

思えばベートーヴェンには何度も背中を押されたような経験があります。

数々の障害に打ち克つという点もそうですが、その楽曲の中に表れる「不器用で繊細な男性の命の燃やし方」によく背中を押されたものです。

そしてまた、元祖ロック魂ともとれるような形の姿勢を持っていました。

「音楽は貴族のものじゃない」

と言う感じで、「ルードウィヒ・B」の中でも、「一生のうちにきっとぼくの音楽の前に貴族をひざまずかせてみせます」というセリフがありました。

久しぶりに第九なんかを聴いて、そんな感じのことを思い浮かべていると「一つの事柄をどこまで即興的に展開できるか?」ということに対する面白さが湧いてきました。

その点は特にベートーヴェンに限ったことではありませんが、考えてみれば辞書的な「寄せ集め」しかできない人たちが凡夫だとすれば、ヴィルトゥオーソたるものは、どこまでも即興で変則的に展開できるという感じになるはずです。

ということで、ベートーヴェンのように「楽譜をひっくり返しただけのワンフレーズ」から無限に展開するというようなことをやってみたくなりました。

ある種一つの事柄を補完するように、関連用語や関連概念を枝葉のように繋げ合うというのではなく、同一の抽象概念を元に、重ね合わせるように展開させていくという感じです。

関連性で成り立つイメージを枝葉のように繋げ合うというのも一つですが、「ひとつのものを別物として展開させる」というのも面白いのではないかと言う感じです。

例えば、既に書いた記事と同じ概念を用いて10投稿くらいしてみると言うような形になるでしょう。より学術寄りでもいいですし、会話文のみの完全口語でもいいわけです。そうすることで、いろいろな人に理解をしてもらいやすくなる上に、既に理解している人にとってもより理解が深まるというようなことも起こるでしょう。

それこそスパマーや辞書的で「まとめ」的なものを作っている人にはできない芸当です。今のところ人工知能にも不可能な領域でしょう。そう考えるとワクワクしてきました。

またいつか特別企画としてやることにしましょう。

幼い頃から時折勇気をくれるベートーヴェン。

こんなところでもまた彼が背中を押してきました。

Category:music 音楽

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ