春の感傷

今日はいきなり泣いて目が覚めました。

自分でもよくわかりませんが、春の影響からか無意識が暴走するようなことがよく起こっています。

先日は急に台所で意識がおかしくなり、瞳孔が開きっぱなしになったりしました。

そして今日はなぜか夢の中に強いリアリティを感じ、起きたら涙でいっぱいになっていたという感じです。

how are you? 〜 ささやかな

昨夜、SUPER BEAVERの 「how are you?」〜「ささやかな」を聴いてから寝たのですが、本日仕事の訪問先が「バンドの最期(孤独な人たちの嫉妬)」を迎えた大学の近くだったということもあってか、当時の記憶をベースとした夢を見ました。

すると当時の僕が出てきて、すごいエネルギーを今の僕にぶつけてくるというようなシーンばかりになりました。

涙とともに起きたのですが、ふとその当時に出会った大人の人たちについて色々なことを思い出しました。

面白いのは、そんなことを考えようと思っていなくても、そして曲の歌詞をはっきり聴いたり感じたりしなくても、無意識はしっかりとそのメッセージを捉えていて、夢の中に投影したということです。

おかげですごくスッキリしました。

見えないものがあったからこそ

まだまだ寝ぼけた頭でふと考えたこと、若き日の僕からのメッセージにはなりますが、やはり見えないものがあるからこそそのギャップの分だけエネルギーが生まれるということです。

そして、見えないものを見ようとしても、周りの大人の人達だって全然見えていなかったということです。

「世の中がどんな仕組みになっているか」ということをはじめ、知らないことが多ければ多いほど内にはエネルギーが生まれるという感じになります。

逆に言うと知れば知るほど、知識や経験と引き換えにエネルギーを使い果たしてしまうという感じです。

そういう意味ではやはり異性を知らなかった時のほうがエネルギーに満ちていましたし、「経験を積んでから起業」というのも不合理なのではないかということも思いました。

「年老いてからの起業」というのも別の意味であまり向いていないのではないかということです。それは歳をとって体力が落ちているとかそういう意味ではなくて、あまりに社会を知りすぎてからこそエネルギー自体があまり残っていないような感じがするからです。

しかしながら、歳を重ねたとしても日常で経験していくものの領域を超えたようなものに意識が向くならば、その「見えなさ加減」に比例してエネルギーは起こるはずです。ということで年齢で区切ること自体はできません。

ただ、何となく知っているからこそ、新しい経験に新鮮味がなければ無いほど、意識は安定するかもしれませんがエネルギーは湧いてこないという感じです。

大人だって分かっていない

まあ当時を振り返ると、それまでの僕はある意味で子供ということになるのか、周りの大人の人達に何かの期待をしていました。

世話をしてもらおうというようなタイプではなく、少なからず自分よりも大人ならば、自分よりも何かしら社会のことを知っているだろうというような期待です。

しかし今思うと、そうではありませんでした。

だから彼らは、僕たちを傷つけるつもりもなく、騙し、利用するつもりもなく、自然な形で僕たちを翻弄し続けたのでしょう。

それは今になっても変わりません。

誰かを陥れるという気持ちもなく、本人たちもそのレベルで一生懸命やっているのです。

しかし、それはそうだとしても、それが子供を翻弄するという事実は変わりありません。

はっきり言えば、そんな大人の人たちはバカなのです。

バカなりに自分の環境に順応しているだけ、たったそれだけですが、その人たちは意図せず誰かを翻弄しているのです。

故意的なものではないので悪気はないのかもしれませんが、知らず知らずに誰かを翻弄していることには変わりありません。

より良く成長していくためにまず気づくべきことは、おそらく「誰に聞くか」ということです。

大人だって完璧じゃない上に、下手をすれば子供よりも純粋な視点が消えていて、盲目的になっているというのが本当のところでしょう。

ということで、下手に大人の人だからと思って話を聞いたりするよりも、いっそ本を読んでいる方がよかったりします。

あの日の僕は、おそらく朧気ながら大人になったのでしょう。

彼らへの期待が全く無くなり、彼らも完璧ではないことに気づいた瞬間から怒りすらも起こらなくなりました。

日本一なことを忘れていた

ということで、本日仕事で例の某大学付近に行ったのですが、行く前にどうも腹が弱り、スネは冷えて活力がない状態になりました。

そんな中、ふと立ち止まってぼーっとしていると、当時の自分が影響しているような気がしました。

で、さらにぼーっとしていると、「あ、日本一なこと忘れてた」というフレーズが出てきました。

これは別に驕りでも何でも無いのですが、僕は業界で日本一だと思っています。というより同じようなことができる人がいないので、事実上日本一です。

そんなことを考えていると、いつになくやる気になってきました。

その瞬間に当時の僕の影が消えました。

何も見えないまま「大人が作り出した社会」に反応していただけの当時の僕のようなエネルギーはありません。

しかし、それとはまた質の違った力強さがそこにありました。

Category:music 音楽

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