仕事や収益に関する納得について触れていきましょう。
自己欺瞞なき納得、すなわち自らの本心を偽ることのないなき納得があれば、現象は思うように、― 否、思いがけないほどにうまく展開していきます。
世の中には自尊心が欠落し、多種多様な偏見で物を言う人達もいます。そんな人達に屈辱を与えられた時、本当に嫌なのはそれを返しきれない思いです。
ただ、本質的に自分自身の内側に納得があるのであれば、そんな偏見の物言いは単なる譫言にしか聞こえなくなります。
端的には「言われる筋合いはない」ということになるので、何もできずに譫言だけを言っているような相手は、相手にすらならなくなるという感じになります。
また、社会生活においても全てがうまくいきます。
自己欺瞞がない分だけ、何事もブレーキがかからないので物事の展開が早く、スムースになります。
仕事や収益に関しても、「納得」に応じてうまくいきます。
仕事選びに関する納得
さて、自己欺瞞なき納得という面で言えば、仕事選びについても本来納得が必要です。そうした納得度合いによって、精神的負荷は大きく異なってきます。
勤め人を辞めて起業した理由の一部は、こうした理由に基づいています。
「他社の製品サービスの方が優れていて、自分で選ぶならそちらを選ぶのに、お客にはすすめられない」というものがその最たるものでしょう。
そのような詐欺とまではいかなくても自己欺瞞のあるような仕事をしている場合、精神的負荷がかかります。
しかしながら、どのような業種であれ、自分自身で納得しているようなものを提供しているのであれば、同語反復的に自己欺瞞はありません。
そしてまた同時に、本当に自分自身で納得しているのであれば、こちらを安く見てナメてかかってきた相手に対して「ふざけんな(笑)」ということを平気で言えるようになります。
自尊心の欠落から「こちらは老舗」とか「私たちは行政」いうような態度を出してこられても、
「おいおい、親に仕事を与えてもらわなければ何ともならなかったお坊っちゃんが何かほざいてるぞ」
とか
「テストで点を取ることしか能がないような、大きな後ろ盾がないと強気になれないようなヘタレが何かものを言ってんぞ」
というようなことになり、爆笑してしまうしかなくなってきます。
「あの、君たち以外にも星の数ほどお客はいますし、他にも僕を求めている人はいますから、どうぞお引取りください」
ということになってきます。
珍遊記の山田太郎のような気分になります。
収益に関する納得
さてさて、大きなお金を手に入れたいと思いながら、なかなかそうはならない、という場合もこうした納得が絡んでいます。
「そうでありたい」という希望でもなく、また、自尊心の欠落からくるような「オレはそんなに安くない」というものともまた違います。何の抵抗もない「納得」です。
時給1000円ちょっとくらいで、1000万円というと、所得税や社会保険料がかからないとしても1万時間働く必要があると感じてしまいます。
その一方、時給が10000円となると「本当に自分の働きがそれ相応の価値があるのか」と思ってしまいます。
しかしながら、先日の「PCリースにおける情報弱者へのぼったくり」の事例で考えれば、5年間でPC6台3000万円かかっていたPCリースのコストを、PC購入と設定等々で300万円で済ませた場合、2700万円浮くような計算になります。
そうした手配をした場合、2700万円浮かせたので、2000万円なり、せいぜい1000万円なりを報酬として受け取ることにそれほど抵抗は生まれません。
PC購入等々の手配だけで1000万円請求するとなると抵抗も生まれるかもしれませんが、実質的にそれ以上相手にメリットのあることをしているので、後ろめたさを持つ必要はありません。
こんなことは、ある程度しっかりした人であれば、小学生でもできそうなものです。
ということで、小学生でもこれだけで1000万円手に入れても良いわけです。それをもらったとしても実際にコストは1700万円浮いているのですから当然です。
ただ、こうした構造がありながら、実際に動いた「量」だけを見て、1万円の小遣いで済まそうとする人もいるでしょう。
そうした場合に、「厚かましい」「ふざけるな」と思えるかどうか、というところが実際の収益に関わってきます。
これが仮に診察だったとして、相手がお医者なら「ちょっと体を触って確かめただけじゃないか」「他人が作った機械に通して調べただけじゃないか」などとは言いません。
しかし、これがビジネスで、こちらが若かったり、零細企業だったりすると、「これくらい恵んでやるわ」と、お礼の言葉や小遣い程度で済まそうとする輩も世の中にはいます。
そうなると、医師に対しては文句を言わないのに、こちらには文句を言っているということで、ナメてかかってきているわけです。
なので、「厚かましい」「ふざけるな」ということを思わなくてはなりません。
「今までそんなことも気づかなかったバカ経営者がほざくなよ(笑)」
というようなことを思わなければなりません。
漫☆画太郎氏作「珍遊記」の山田太郎のように嘲笑うように爆笑しましょう。
…
ということで、しっかりと取るということで一見を落着させなければなりません。
というようなことは、こちら側の納得にかかっています。
こうした「納得」は、仕事や収益に関することでなく、生活の全てに大きく関わっています。
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