人間を咀嚼する大地の口

人間を咀嚼する大地の口 ―

それは現代においては、インターネット空間、そしてその入口として用いられている、かなり広範囲の層にまで広がったスマートフォンの画面かもしれません。

混乱、意識の散らかり、気力の不足、それらの要因を静かに観ると、気力を奪い取られているという構造があるように見えます。

実際に役立つ部分と比較すれば割に合わないような、気力の浪費が起こっており、端的には、時間を潰せているのではなく、気力を奪い取られていると考えるほうが無難でしょう。

区切りのなさがもたらす気力の浪費

その要因の中で最大のものは、おそらく区切りのなさ、際限のなさです。

ありとあらゆる機能が、可能な限り終わりなきように設計されているということ、それが慢性的な気力の浪費を生み出しているという構造になっていると思います。

そして、気力がある一定値を下回ると、その空間から飛び出るということがしにくい状態になったりします。

「区切り」と「気力の浪費」と「その空間から飛び出ることの難しさ」は、例えば、長期間部屋に引きこもっている状態というものを想定すれば理解しやすいのではないでしょうか。

学校などの組織の中にいれば、自然と時期に応じて区切りが付きますが、自由であると区切りがなく、大して意味のないことに慢性的に気力は奪われ、脱する術を見つけたりする気力すらなくなっていきます。

「適当に区切りをつける」ということがその状態から脱するキーポイントとなりますが、そうした区切りをつけることすら集中するための気力がいるので、難しい場合は、簡単なことから区切りをつけて、「区切りをつけて集中力をつけ、一定値以上の気力を保つ」という訓練をしていくと良いでしょう。

ゲーム依存・ゲーム障害

そういえば今年になって、WHOにおいても「ゲーム障害」ということで、一定レベル以上のゲーム依存は疾病と同じような感じで扱われるようになったようです。

まあそうした状況にあっては、ご家族の方としても、今までに費やしたすべての愛情が「ゲームに奪われた」という気持ちになるでしょう。そしてその通りです。

薬物依存にしても同じことで、結局は人生を奪われているということになります。

そして、それら依存系のものは全てその裏でお金が動いています。

つまり、奪われた気力、周りの愛情、人生は、ある仕掛け人によって奪われつつ金銭に変換されているということになります。

そして、そうした極度の依存症などについては、明らかに人生を破滅させるものとして問題視されたりもしますが、「軽いもの」は、それほど問題視されなかったりもしますし、「変換された金銭」によって、より一層推奨されるということも起こったりしているでしょう。

もちろん少量の毒は時に薬として用いられるように、時に有意義になることもあるでしょう。そして、問題が起こらないほどのものであれば、同語反復的になりますがそれほど問題にはなりません。

微妙に奪われているということを明らかに観る

しかしながら、少なくとも依存の状態にあるものは、その依存具合に応じて毒になっています。

「それが常に無いと困る」というのが依存です。

頭痛時の鎮痛剤のように、ある種区切りのある、一時的な処方であれば、区切りがあるため、多少体にダメージがあったとしてもそれを受け入れられるような感じになりますが、際限なき常用という場合は、それを避けるための他の方法を試していかねば身を潰してしまいます。

しかしながら、脱しようにも不快感に勝てないとか、脱するその気力がない、という場合もあります。

そうしたときには、「微妙に奪われているのだ」ということを明らかに観て、簡単なことから区切りをつけ、奪われ具合を減らし、力を温存してためていく、というのが一番良いでしょう。

笑う月(一覧)


デジタルデバイスの使用を控えるよう努めてみたところ、意識はまとまり、また、顎の筋肉がほぐれてきました。

なるべく意識しないように努めて

スマートフォンに集中するあまり、せっかく目の前に転がっている「リアルな情報」を見逃してしまうということも起こったりします。

まだ十分ではない!

Category:笑う月

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