「笑う月」の中で安部公房氏はカメラ好きの一つの特徴を次のように述べています。
「マニヤがカメラに求めているのは、単なる実用主義的な現実ではなく、むしろ空想なのである。シャッターを押すことで、世界の部分を手に入れる手形にサインをしたつもりになれる。その瞬間の自己欺瞞がたのしいのだ。当然のことだが、どこか意識の片隅には、それが自己欺瞞にすぎないことの自覚もあるはずである」
「カメラ好きが、カメラほどにはフィルムに関心を示さないのは、あんがい撮影したいものが現実には存在しないせいかもしれないのだ。カメラが本来もっているはずの、現実指向を逆手に取り、結果を無視することで現実を拒絶しようとしているのかもしれないのである」
使い潰したコンパクトデジタルカメラ
一応僕もよく写真撮影をしますが、感覚としては小中学生の時の延長であり、特にとりとめてカメラ好きというわけではありません。機材のことやテクニックのことを言われてもさっぱりという感じです。
フィルムカメラの時代は、まだ若くお金もなかったため、やはりフィルム代や現像代の関係でそれほど嗜むことはありませんでした(フィルムの使用量は信じがたく低い)。
ただ病中の時になけなしのお金で買ったコンパクトデジタルカメラは、少なからずその後の世界の見え方を変えるものでした。
カメラの限界まで使い込んだということなのか、最終的に撮った写真が変な赤黒系の色でグニャッとなる感じになるまで使いました。
現時点では「新品で購入して壊れるまで使った」のはその一台のみです。
その後購入したデジタルカメラは、海外で盗まれたり、ぼったくりバーでふんだくられたり(これらは保険で現金が返ってきました)、国内で「…」な方々に抗争相手と間違えられて壊されたり(その件については「すまんかった」と現金をもらいました)、という感じなので、初代を除きコンパクトデジタルカメラには縁がありません。
デジタル一眼のみが現役なので、壊れるまで使うとなれば、その一眼が最有力候補です。
写真を撮ってよかったと思うこと
本当に大切な瞬間は写真には残らないと思っていますが、写真を撮ってよかったと思うことがたまにあります。
それは次のような関連性を見つけ出すことができた瞬間です。
かなり古い先祖の写真
そういえば、かなり前ですが、おばあちゃんの荷物の片付けをしている時にかなり上の代の先祖の写真が出てきました。
裏の日付を見ると、時代が江戸です。文字がかすれて微妙でしたが、おそらく「文久」という感じでした。
紙というよりも板に近いような分厚い厚紙です。
それで聞いてみると、おばあちゃんのひいおじいちゃんくらいにあたる人のようでした。
第一にびっくりしたのがその時代の写真があるということですが、その次にびっくりしたのが、性別は異なれ、自分の母そっくりだったという点です。
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