その危険な時を利用する

切羽詰まっている時の感情は不快ですが、切羽詰まりすぎると不快であることすら感じることができずに、逆に理性的になるものです。

よくほろ酔いだと気分が乗って、普段では受け入れない要求を受けたりするということがありますが、泥酔すると逆に理性的になり、体が楽になること以外のことを考えなくなるのと構図はあまり変わりません。

精神的に危険なときはチャンスです。

それもかなりのチャンスです。

生ぬるいほどの危険だと、いつまでもそこに安住しようとしてしまいますが、相当の危険な状態だと、「天才ではないか」と思えるほど理性的な頭で考えられる瞬間がやってくるからです。

チャンスを逃すな!

このチャンスをすぐにボツにしてしまう事柄があります。

「あなたの悩み、聞いてあげる」

というタイプのものです。悩み相談の電話もよくありません。

聞いてもらうことで、少しはエネルギーが減少はしますが、発想が前回触れた「群れる女性」の発想です。

この考えは、転職でもすればいいのに、もう毎年赤字ばかりの会社に執著して、自ら借金で食いつないでいる経営者のようなものです。

本当に切羽詰まれば

「あなたの悩み、聞いてあげる」

と言われても、そんな暇はないということになります。

それくらいの時に、

「じゃあちょっと甘えようかな」

と思えば、チャンスを逃します。

それは、今まで感情が暴走していてできなかった「客観視」ができる瞬間を逃すということです。

これもダメだ、あれもダメだ、となった時に、冷静に考えてみてください。

「それがどうした」

ということを。

一段高いところから「客観視」

例えば会社が赤字続きだとか、嫌な人に付きまとわれてるとか、会社が合わないとか、いろいろなことがあるとしましょう。

それぞれをかなり細かく分析するのもいいのですが、たいていは大前提が固定化されています。

それをもう一段高いところから「客観視」すればいいのです。

例えば会社が嫌で仕方ない場合としましょう。

辞めてどんな問題がありますか?

確かに多少の問題はあるでしょう。しかしその問題は命を奪うほどの問題でも、ショック死してしまうほどの問題でもありません。

所詮、食う寝る出す、くらいしかしていません。

「食う寝る出す」が叶わなくなるほどのことなのかということです。

しかも、もっと言えば、食う出す寝るは誰の都合かということです。

体の都合です。

都合が悪くなれば不快な信号を送ってくるという性質を持っているだけのことです。

「今すぐにではないが、少し休めばまた社会に復帰できる」

というような「悩みを聞いてあげる」は不要です。

なぜ社会に復帰しなければならないのでしょうか。

そこまで考えてみてください。

考えることが面倒だという場合や、もっと言えばそんな考える気力や時間すら無いという場合は、もっとチャンスです。

明日死ぬと思ってください。

そうすれば、貯金残高も気になりません。

嫌な人のことも気になりません。

体が不快なら鎮痛剤でも、睡眠薬でも飲めばいいのです。

明日死ぬならば何でもありです。

明日死ぬならば、わざわざ今日苦しい思いをして死ぬ必要はありません。

まあそう思って、財布がすっからかんになろうがやりたいことをやってください。

というのでもまだもったいないです。

もっとすごいチャンスが潜んでいます。

その焦りを利用して今現在に集中してみよう

何度か触れていますが、今現在に集中すると言っても、感覚で言えば時間の経過すら怪しいくらいの「今」に集中するということです。

少し長文版はこちら

実践的対処法 意識を傍観し感情をその場に置き去る

体育会系やギムキョが言うような「今は勉強に集中しろ!」というような、数分数時間単位の話ではありません。1秒すら認めないくらいの瞬間的な話です。

目を瞑ってもいいですが、開けたままでも大丈夫です。

最初はむしろ目を開けていたほうがいいかもしれません。

雰囲気を出すためにしばらく息を止めても構いません。

本当に今を捉えたなら「この瞬間には何も起こっていない」という体感がやってきます。

それだけでは、わかりにくいかもしれません。あまりうまくいかない場合には、その時に少し考えてみてもいいかもしれません。

視界は接触によって起こっている。

目が光と接触し、光を解釈したから起こっている。

光の信号を目が捉えて意識に信号を送っている。

今それを感じている。

そんなことを思いながら、次に目を閉じてみてください。

はい、簡単に消えました(実際には情報量が少なくなっただけです)。

もう一度目を開けてみましょう。

また視界が戻りました。

生きてるということは、たったそれだけのことです。

その危険な時を利用する 曙光 460

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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