道徳学者への忠告

われわれの音楽家たちは大きな発見をした!興味を引く醜さは、彼らの芸術でもやはり可能なのである! 曙光 239 冒頭

「フックとしての醜さ」という手法が取られるようになりました。違和感を覚えさせることによって、興味関心を惹くという手法です。怒りやがっかりすら使われるようになりました。アイドルにボクシンググローブを付けさせるような手法ですね。

そうした手法を垣間見た時、ふとイワン・シャポヴァロフ氏を思い出したりしてしまいます。

t.A.T.u.とイワン・シャポヴァロフ氏

そういえば、十年ちょっと前にt.A.T.u.というロシアのアイドルがドタキャンを繰り返して売名行為を繰り返していました。しかしこれは、ただの売名行為だけではありません。

突然の来日キャンセルを受けて、という報道のインタビューにファンは「しかたないですよね」と漏らしていました。このt.A.T.u.のプロデューサーのイワン・シャポヴァロフ氏はなかなかの曲者です。

「諦めても嫌いになることはない、むしろさらに渇望感が増す」

これを意図的にやっていました。しかしながら、一種の提言と忠告として、社会には良い一喝だったのではないでしょうか。

違和感フックのリバイバル

このレズビアン的演出などに代表される違和感によるフックは、まさに近年それを真似している人がいます。言わずともわかる人にはわかるはずです。

十年程度たって物事がリバイバルする頃、それは世代が少し変わり、また、当時を知る人の意識の中でも「もう騙されないぞ」が薄れかかってきた時だから、当時の手法が通用するようになり、リバイバルされるということです。服装然り、現代に通じるところがあります。

道徳学者への忠告 曙光 239

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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