良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。
「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」
と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。
いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。
ご本人は良心の疚しさなく仕事という社会的な活動をしているつもりでしょうが、売っている物自体が詐欺的商品である場合もあります。それを詐欺的商品であるかどうかを見抜けないというか、見抜こうともしないというのはどうなのか、というようなことを思ったりします。
詐欺的営業と詐欺的商品
人を騙そうと思ったら、内輪から騙していかねばならない、ということなのでしょうか、詐欺的商品を「仕事ですから」と何の疑いもなく売っている人たちがいます。
当の本人もわけがわからないまま、売っているようなケースです。でも感情的に「自分は仕事を通じて素晴らしいことをしている」とすら思っている人たちです。
以前、保険の窓口販売に営業されに行った時に、「お客さまの年齢ですと、だいたいこれくらいです」と何の根拠もないまま掛け捨ての生命保険を勧められたことがあります。
勧めている人は、何の疚しさもないのでしょうが、その保険商品自体が、僕にとって「どのように費用に見合うのか?」ということは棚上げしている感がありました。
「必要のないものを売りつける」ということは、一種の悪徳商法です。
しかしながら、「必要がない」ということを見ないようにしているか、見えていない状態になっているかというところで、営業担当本人には非がないように見えてしまいます。
商品を提供する側は詐欺的商品であるとか、「それを必要とする人は本来ほとんどいない」ということを知りつつ、営業担当は洗脳的に騙されていて、というような雰囲気があります。
営業担当が詐欺的な営業をしているわけではなく、商品が詐欺的商品であり、営業担当自体も騙されているというような構造です。
「長時間労働が自己実現」とすり替えられている洗脳労働
さて、ついでですが、洗脳というとブラック居酒屋に勤めている人たちも同じような感じがします。
求人のチラシのインタビュー記事なんかで、顔写真を見ると、「洗脳されている」という感じがします。
一日18時間働くことが自己実現なのだ、と言う感じの洗脳なのですが、そういう人がいるおかげで、ブラック居酒屋が存続しているということで、潰れるべきものが存続し、淘汰されないという現実が起こっています。
「反省する動機がない」のが一番タチが悪いと言った哲人がいます。
むしろ自分たちは社会に「奉公」しているくらいに思っていますから、改善はされていきません。
良心の疚しさがなくとも
「仕事」とされていることをしっかりやることが、本当に無条件に素晴らしいことなのでしょうか?
その仕事自体がどういった属性を持っているのかは関係ないのでしょうか?
その会社自体に問題はないのでしょうか?
「一生懸命に営業すること」に熱心になり、高齢者に高級羽毛布団をローンで買わせることが素晴らしいのでしょうか?
100歳までもらい続けないと元が取れない終身年金を痴呆高齢者に売りつけることが素晴らしいのでしょうか?
尻馬に乗るような形で悪徳マルチ商法にハマって、友人知人を新しい会員として勧誘することが素晴らしいのでしょうか?
「売上を上げるということはそれだけ社会の役に立ったというバロメーター」
という洗脳をされていないでしょうか。
確かに、普通の仕事ならその理屈も通用するでしょう。
しかし、何でもかんでもに適用できるわけではありません。
「すぐに解約してもいいから」
と、友達にクレジットカードの申込みを依頼するような仕事が素晴らしいのでしょうか?
わけもわからないまま「営業の数字」だけを追うのが素晴らしいのでしょうか?
「商品の本質を知ろうともしない」という悪事
その商品の本質を知ろうともしないで、「素晴らしいんだ」と納得して営業活動を行うことで、社会をグチャグチャにしていっている可能性があります。
「ちゃんと仕事をする」
というところが素晴らしいからといって、仕事内容をしっかり見ないのはおかしいはずです。
そして、本当に仕事に本気になったのなら、「自社商品よりも他社商品のほうが素晴らしい」というところすら見えてくるはずです。
そうした点に盲目となり、熱心に仕事に夢中になることは、良心の疚しさのない悪事となりうることがあります。
良心の疚しさのない悪事 曙光 388
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