自己の交際を求める

一体われわれは、あまりに多くを求めすぎているのか。適当なときに火の中に入れられて取り出された栗のように、穏やかで、美味で、栄養豊富になった人々との交際を求めるのは?人生から僅かしか期待せず、しかもそれを当然のこととして受け取るのではなく、ちょうど鳥や蜂が運んで来てくれたもののように受け取る人々との交際を求めるのは? 曙光 482 前半

うーん。別に交際というものを求めることはありません。むしろ交際、再会の可能性を遮断することのほうが多くなってきました。

しかしながら、普通のコトですが、人がよい人であれば、交際を拒絶することはありません。

強いて言うなら仕事上の付き合いくらいの関係が一番いい距離感です。

お互いに私的なことにはあまり触れませんから、それくらいならばちょうどいいでしょう。

鈍感、横着な相手とは一瞬で決裂

といいながらも、やはり仕事に対する姿勢が個々人で異なるため、どこかで軋轢は生じます。それほど仕事の姿勢に差がなければ、軋轢もそれほどありませんが、もともと鈍感か、もしくは横着な相手とは、一瞬で決裂します。

本当に、価格が安いとか、後で詫びがあるとかよりも

「ちゃんと仕事をしてくれ」

の一言です。

何故かこの三ヶ月位はそういった人たちと出会いや、やり取りが多くありました。もちろん最終的には全てうまく言っていますが、やはり無駄にエネルギーを消費してしまいます。

もうそろそろまともな人が現れると思っています。

また友達が友達でなくなった

最近また非常にがっかりしました。

特に何かされたというわけではなく、もちろん相手との間で何かがあったわけではありません。

別にその人が何かをしてきたわけでもなく、ただその人の生き方に僕の意識が同調できなくなり、無性に嫌悪感がしました。

そこで一瞬怒りが生じてしまいました。

相手については、別にどう生きていただいても良いのですが、その人ともう今後関わることはないでしょう。

僕がそんなことを思っていることすら相手は知りません。

何より、自分の中にそのような怒りのタネが未だにあることにびっくりしました。むしろそちら側にがっかりしました。

激しい嫌悪感の後に消える「憂いのタネ」

しかしがっかりしたと同時に、もう今後その人と関わることがなくなることに憂うことなく、むしろすっきりしたような、憂いのタネが一つ消えていったような気がしました。

その人がどう考えどう行動しようと、こちらには関係ありません。

そして、その人と自分との関係を維持したいとも思いません。

そうなると、悲しみや怒りはどこにもありません。

「激しい嫌悪感の後に、憂いのタネがひとつ消えた」

たったそれだけのことです。

その人のおかげで、まだ自分の意識の中の奥底にあるノイズを見つけることができました。

激しい嫌悪感と吐き気が、またひとつノイズを取り去ってくれました。

自己の交際を求める 曙光 482

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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