肉体のキリスト教的な解釈者

とにかく胃や、内臓や、心臓の鼓動や、神経や、胆汁や、精液に原因を持つものが何であろうと― あのすべての不機嫌や、衰弱や、過度の刺戟や、われわれにとってはなはだ知られていない機械の偶然性の全体!― これらすべてを、パスカルのようなキリスト教徒は、そこにひそむのは、神か悪魔か、善か悪か、救済か地獄行きか、とたずねることによって、ひとつの道徳的、宗教的な現象と考えざるをえない! 曙光 86 前半

猫も杓子も健康食品・サプリメントの時代になってきました。そこで考えてみたいのが、幾分科学的でいかにも必要そうな栄養分とその吸収、そしてそれは、最終的には体が動いてくれないと何ともならないという事柄です。

都合が悪くなれば「自然治癒力」や「精神的なもの」ということで片付けられる事が多いのですが、まずこの体の持つ力が最大限に発揮されている時、つまり「元氣」な時を基準として、不調があれば、どこかしら間違っているのだということを考えてみましょう。

外からの物理的な何かで解決しようとするのではなく、本来の意味での内側からキレイになればいいのではないでしょうか。

まずは自然治癒力・恒常性維持機能を感じてこの心が体の回復や姿形を方向付けているのという事実を捉えてみましょう。

お肌をキレイにしよう

どうすれば肌がキレイになるのか、その答えを求めている人たちに向けて、延々と新製品や広告が量産されていきます。健康食品然り、何か肌に塗るもの然りです。

まず根本的に内臓が悪いと、その分だけ肌も荒れます。

ということで「結果」である荒れた肌に対するアプローチばかりしても、問題の葉を摘んでいるだけで幹も根も残したままになります。

で、内臓を悪くしているもの、それは緊張です。

そして緊張の原因は思考です。

ということで、長期的に見て肌をキレイにしようと思ったら思考方法を再設定するほうが早いのです。ということで本当の内側からキレイにしていきましょう。

肌や内臓に対するアプローチもいいのですが、それは原因の葉っぱや枝に対する対処にしかなりません。

もちろんしてもいいですが、基本形は

思考→感情→緊張→内臓→肌

環境→感覚→緊張→内臓→肌

という川上、川下の流れであることを知っておいたほうがいいでしょう。

だから川下である肌からアプローチしつつ、内臓を復活させて最終的には思考や環境の方を改善していくほうが正しいのです。

(あと、かさつき肌の場合は根本的にタンパク質が不足しているだけという場合もあります。また、アミノ酸の偏りが原因という場合もあります。そんな感じでビタミン類等々よりもそちらに目を向けたほうが良いと言う場合も多々あります)

様々な方法論には限界がある

元々僕も神経質で腹が弱く便秘や下痢を繰り返していました。

この世で一番の苦痛は腹痛だと思いつつ、一生腹痛にならないためにはどうすればいいかということを小学生の時から考えていました。

足腰を冷やさないことと腸マッサージというのもある程度はいいのですが、それだけでは限界があることを知りました。

意識の中に色々な抵抗感や抑圧されたものがあると、無意識で緊張します。

もしそれに気づくことができれば、半分はクリアです。

それを無視し続ける限り、感情にも体にも「お仕置き」が待っています。

結局は心が歪んだ分だけ体に不調が起こるというのが基本であり、薬、健康食品、サプリメントなどはその歪みを対症療法的に整えるだけなのだということです。

「病苦」病の苦しみ

肉体のキリスト教的な解釈者 曙光 86

Category:曙光(ニーチェ) / 第一書

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