立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて跡なし

どさくさに紛れてということは混乱期によくあることですが、最近もまた給付金等々において唆しによる詐取が横行したりしていたようです。その他、安易に電子化を進めようとした結果、勝手に口座からお金が引き出されていたというようなどうしようもない犯罪が起こっていたりもするようです。

名義を貸して受け取り、手数料を払うというような構造でちらほら給付金が不正受給されたようですが、個人的には、不正受給を唆すような、そんな甘い話に疑いを持たないという感じの危機管理能力というか危機意識が無い方が驚愕の対象となっています。

僕としては、小さいときから「安易にハンコは貸したらあかんよ」というようなことをいろいろな大人の人達が言っていたので、百均に売っているような三文判ですら大事に扱っていたくらいの感覚なのですが、個人情報について神経質になる割に、実際の管理は杜撰というところが滑稽な感じになっています。

プライバシーの盲点

危機や危険へのチグハグ感

何かにつけて「個人情報」という形で突っぱねる割に、情報ツールの利用等々においても、「なるべく相手に把握されるようなもの」を使っているというチグハグ感が絶えません。

確かに機能の面だけ見れば大差のないようなものであっても、その情報の取り扱いについては大きな差があったりします。運営企業が内部情報を確認できるようなシロモノもたくさんありますし、たくさんのデータを集めたいがために無償配布しているようなものもたくさんあります。

時間や手間のちょっとの差からくる利便性や「現代的」というようなモテ意識から起こる盲目的判断なのか、そうした情報の取り扱いの差には無頓着ということがよく起こっています。

情報強者や情報弱者という言葉生まれてから久しいですが、テクノロジー的な面や情報リテラシー以前に、基本的な危機注意力、危険注意力のようなものが欠落しているような気がしてなりません。危機管理能力と考えても良いでしょう。

その時代にありふれているものが基準となり、わざわざそれ以前のあり方を調べるということはあまり起こり得ません。

これはその時代の基準という環境そのものが問題なのではなく、基本的な危険を察知するという、環境の変化があっても通じる汎用的な能力のあり方のほうが問題になりそうな感じです。これは「気づく力」の欠如といったような点になるでしょう。

気づく力と自己観察

不正受給に加担していたというようなことにしても、「知らぬ間に」ということではありません。ある程度検討し吟味する機会はあったはずです。

そんな時に

「怪しい」とか「なんだか危なそう」というような感覚は生じないのでしょうか。

そして一方で、「断りベタ」というような点も潜んでいそうです。

「やらない理由を論証せよ」と言われた時にたじろいでしまうということも人によっては要因の一つとなっているでしょう。

構造への納得

個人的には昔から、自分に都合が良さそうな、「うまそうな話」があったとしても、「では、どうやって収益を上げてるのだろう」というようなことが気になって仕方ありません。

「どのような構造になっているのか?」という点について、ある程度納得できなければその先に進むことはありません。

例えばなぜ終身保険は、ある程度の期間が経った後は解約してもプラスになるのか、ということなどは、最初理解ができません。「保険会社は保険料としてお金をもらっていないのになぜ?」という感じになります。

「長期間お金を預かって運用益を上げ、収益を上げている」という理由がわかれば、「なるほどそういうことか」ということが分かってきます。

ただ、本来はその時でも単純な「運用」という言葉だけで納得してはいけません。でないと下手をすれば投資詐欺などに遭います。

運用について納得しそうな時にでも、すぐには納得せず「例えば外国債でも運用利回りはこれくらいにはなるだろうし、それだけの期間があれば、この数値は妥当か」ということも検討してからの方が安全です。

というくらいの感じで、これら思考は一応臆病さから入っています。

しかしながら近年「否定するな」とやたらとなんでも肯定しようとしたり、そうした臆病さ自体がゴミであるかのように否定され過ぎているというようなフシがあります。

しかし感情の問題と論理的な問題を混同してはいけません。

もしかするとそうした危機意識というか注意力の無さは、社会全体において危険や危険に伴う緊張感が少なくなったことに影響しているのかもしれません。

それ自体は平和でいいですが、ふとしたときに「そうなるとは思っていなかった」では済まされない自体に巻き込まれる可能性、つまり隠れた危険は常に潜んでいます。

全体的な平和感は喜ばしくとも、危険が完全に消えたわけではありません。

立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて跡なし。

許されたり、損害は補償はされたりということはあっても、その裏で犯人は結局捕まっていないということもよくあります。

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