祝四周年

なんだかんだで本ブログも四周年です。これで1140記事目になります。今回も祝三周年の時と同様に、単純に祝四周年というタイトルです。祝三周年の時点で、842記事だったのでこの一年で298記事を書いたことになります。過去分の転載等もありましたが、この一年はまあまあ書いた方になるのでしょう。

さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、ありがとうございます。

四周年記念ということで、一部の過去記事に追記をしたりしています。

それでは今回も、例のごとくアクセス状況などから進めていきましょう。

アクセス状況

この一年でこのブログにやってきた人の数は、60,188ユーザーでした。その前は、45,303ユーザーだったので、かなり向上している感じです。特に昨年末にインデックス制御をしてから、最近ではかなり検索流入数が増えています。

全てのユーザーさんを測定できているわけではありませんが、ユーザー属性としては男性50.5%、女性49.5%と概ね半々です。年齢層としては18歳から44歳位までの方が多いようです。といっても、結構幅広い年齢層の方からアクセスをいただいているようです。

年間201回以上ご訪問いただいている方の数は、2,137ユーザー、年間50回以上再訪問いただいている方の数、つまり週一回くらいのペースで訪れる方の数は、5,269ユーザーということのようでした。

昨年よりもかなり増えている感じです。単純に倍以上に増えています。

66%以上の方がモバイル端末、つまりスマートフォンなどで閲覧されているようです。ということで先日通信容量を削減するために、画像の圧縮やサイトの軽量化などをしておきました。

ではアクセス状況はこれくらいにして、サイト内検索に移りましょう。

サイト内検索

毎度おなじみサイト内検索です。この一年で700パターン以上のサイト内検索がありました。

検索回数上位として、アイツ、笑い、煩い、ブラック企業、無意識、エネルギーなどがランクインし、長期間一位に君臨していた「Z会」は12位に転落しました。

その他検索回数が多かったもので特徴的なものは、仮観、儒教、フルオートマ、坊主、脳、アファメーションなどでした。

「何だったんだ」

というものもありましたが、これを見て今、「何やったんや、サルティンバンコ」を思い出してしまいました。

それではサイト内検索の中で面白かったものを列挙していきましょう。

  • ミスター脳筋⇒孔子ですね。
  • ⇒霊や妖怪が好きな人も多そうなので、またそのうち書くかも知れません。
  • 3本⇒洗脳系コンサルタントですね
  • 話 通じない⇒そういう人多いですよ。相手のフレームを見極めましょう
  • 元気ですか⇒アントニオ猪木氏を召喚してください。
  • 松永⇒松永太でしょうか。
  • 宅間⇒宅間守でしょうか。
  • サイコパス⇒そこら中にいるぜ。
  • 発情期⇒青春
  • ジョージ⇒誰かわかりません。ジョージ・ブッシュかジョージ秋山氏か…少なくとも所ジョージ氏ではないと思っています。
  • ネガティビィバイアス⇒ネガティビティバイアスでしょうか。またまた専門用語を…
  • ローゼンタール⇒ピグマリオン効果のロバート・ローゼンタール かな?
  • ダブルバインド⇒そう言えばダブルバインドについてははっきり書いてないなぁ。
  • ロゴス⇒哲学マニアもしくはキリストマニアの方でしょうか。
  • 老子⇒そう言えば老子については特に触れていませんね。
  • デリダ⇒ジャック・デリダだと思いますが、デリダについても特に触れていません。
  • 精神と時の部屋⇒弟子たちとの対話は「精神と時の部屋」と呼ばれています。

あと、植物系がやたらと検索エンジンに評価されていて検索流入も多いことが関係しているのか「イキシア」「ナルコラン」などの植物名の検索も結構ありました。

乗数理論的な波及効果の元となる常識

ありがたいことに一部の検索キーワードでは相当の上位に表示されているため、それが過去記事であっても検索流入が結構あるわけですが、考えてみればそうした位置にあるということは、調べ物をしている人たちにそのキーワードや概念の定義を突きつけることにもなります。

さらにウェブメディアなどが発達した最近の世の中では、やたらと記事が量産されていますが、そうしたライターの人たちは、所詮と言ってはなんですが、調べてまとめ上げるくらいしかできないので、結局評価を受けているネット上の記事を参考に、自分の解釈で記事を作っていきます。

ということは、本ブログにおいても特定の記事は、その根本となる定義の位置づけにすらなっているような状態であるということです。

言わばそうした定義は、乗数理論的な波及効果の元となる常識になるため、ほんの少しだけ日本の常識を変えていっているということにもなります。

本ブログも一部の部分は、公的機関や教育機関にすら引用されるようにもなりました。

本来は学者の人たちも、自分たちの内輪で発表ばかりしていないで、こうした影響を考え、こぞって良質なものを配信すればいいと思いますが、どうやらそうした流れは今の所ありません。医療関連に関しては少しだけその流れが生じていますが全体としてはまだまだです。

しかしながら野放しにしておくと、広告収入が欲しいだけの人たちが、浅い考えで書いたような内容が人々の基準となってしまいます。

少なくとも僕は、事実的なデータは別として、内容自体は自分の頭にあるものを中心として書いています。そしてその裏にある元ネタとなる情報は、今までの経験や今まで読み込んだ万単位の書物の情報です。

インターネット上で目立ちたいというような気持ちはありませんが、本ブログの記事を盗用していったアフィリエイターのような輩に、人々の基準を作られていくというのは避けたいと思っています。

知恵袋難民

特にYahoo!知恵袋に限ったことではありませんが、質問と回答という構造を持ったウェブ情報のやり取りを見ていると、素人が質問し、素人が回答しているものがほとんどです。

というわけで、知恵袋で質問しても、答えに納得がいかなかったという人たちが世の中にたくさんいます。

そして、たまには良い回答もあるでしょうが、基本的にレベルの低い知恵袋の回答などが常識になってしまえば、世の中は絶望的になってしまいます。

特にスマートフォンが普及した現代では、具体例に対する即時的な各論の回答を求める傾向にあります。

その奥にある前提となる総論部分をパスして、具体的な問題に対する唯一の答えがそこにあるかのような発想です。

そうした各論的なものも、考えの材料としては大切なものですが、何かを調べればすぐにピッタリの回答が出てくる、というのは、検索エンジンなどがもたらした恩恵の背後にある、デメリットの部分だと思っています。

体の不調一つとっても、原因が一つだけというわけではありませんし、複合的な要因の中、たった一つの解決策だけを提案するというのは狂気に満ちています。

小学生の時、腹の健康には、野菜を食べることがいい、と言われ、下痢の最中に野菜を食べて下痢が加速した事があります。

そうした短絡的な議論で満ち溢れてしまえば、本質を見抜く力は育っていきません。

ということで、知恵袋がいくらページ数が多く充実していそうでも、書いてある内容はほとんどが洗練されたものではありません。

そうしたものに汚染され、世の中で無駄な苦しみや無駄な悲しみが増えてしまうのなら、微力ながらそうしたものをなんとかしていこうと思っています。

無駄な苦しみや悲しみよ、無くなれ!

単純に僕が目的として持っているものは、この世から無駄な苦しみや無駄な悲しみが無くなるということです。

記事の内容にもよりますが、その思いの分だけ字数は多くなっています。

そう言えば、最近また「不殺生戒と人を殺してはいけない理由」に追記をしました。なんだかんだで現段階で字数は21000字くらいあります。400字詰め原稿用紙を1ページとして考えれば、52ページくらいの分量です。

もちろんその熱のこもり方は、養子のうさぎに対するレクイエム的な要素もありますが、様々な生き物への慈悲の実践として、僕にいろいろなことを教えてくれたいろいろな生き物への思いとして、今現在も共に生きている仲間のために言語を用いることのできる人間を代表して書いてみました。

広島のペンギン、地元の公園で出会った蝉、ネパールで出会った鶏、ベランダに現れたスズメバチ、そしてインコのピーコちゃんや養子のうさぎ、ガチョウの雪雄をはじめ、全ての生き物から信託を受けて書いたような気分です。

「無駄な苦しみや悲しみよ、無くなれ!」という面に関して、僕は対象を人間に限定していません。そして何より、不殺生に関して言えば、殺生を条件化するということは、その人たち自身を苦しめてしまうという属性を持っています。

通常、ウェブメディアなどのネット情報は、目的を広告収入としています。テレビの情報も同じようなものです。

目的が変われば方向性が変わり、内容も変わってきます。スポンサーとの関係などを筆頭に、広い意味での収益に対して都合の悪いことは明示されなくなっていきます。

というわけで、僕はそうした要素を一切外して今後も書いていきます。

この位置からでしかできないこと

世の中には様々な立場の人がいます。

そしてその立場、その位置からでしかできないことがあります。

そして同時にその立場だからこそできないということもあります。

お父さんやお母さんが説得しても響かない人がいたとしても、その人が憧れているロックスターの言う事なら耳を貸そうとするようなことです。

しかし、ロックスターはロックスターで、そうした物を毛嫌いしている義務教育の成れの果てのような人を説得することは難しくなります。

大学教授なら大学教授で、今の立場は収入に直結しています。下手に発言すると役職を降ろされたりすることもあるのです。

そうした感じで、それぞれの人がそれぞれの人の立場、その位置でしかできないことがあります。

ということで、本来は大学などに属して権威性をもったほうがやりやすいという面もありますが、それはそれで縛りとなるため、僕は権威性を主張せずに、一部の人達を対象にインターネット上でやってみるという感じです。

ペルソナバトルについて

たまに「ペルソナバトル」とか「ペルソナアタック」とか「ペルソナを発動する」なんてなことを言っていますが、ほとんどの人には全く不思議な意味不明の表現だと思いますので、四周年を記念してここで改めてペルソナの発動について触れておきます。

元々ペルソナとはカール・グスタフ・ユングの用語で、外界に適応するための外面的人格を指し、仮面を意味します。

心理学で用いられる時は「役割に応じた人格」ということになり、言わば根本人格とは別の人格を意味しますが、ここでいうペルソナは、アトラスのペルソナシリーズに出てくるペルソナです。人物の上部にキャラクターが現れて魔法などを使うというやつですね。

一見中二病のように思える様なペルソナですが、実際に魔法を使って物理的に炎を出すというわけではありません。

ペルソナの発動に関して、イメージとしては安倍晴明の式神召喚みたいな感じですが、意味がわかればそれほど不思議なものでもないと思います。

といっても、氣の流れなどのパワーに対する感受性がないと、もしかしたら分からないかもしれません。これは体感領域なので言語で説明することができませんからね。

まあ実際のペルソナ発動については後述するとして、魔法を使うとはどういうことかを見ていきましょう。

魔法を使う

中二病的に「魔法を使う」ということになれば、本当に炎を物理的に出さなければならないと思ってしまうと思いますが、相手が炎を認識さえすればそれでいいのです。

例えば、物理的に炎があった場合でも、目を通じて視覚情報として頭で認識し、それを心が受け取るというプロセスがあります。

では、頭に電極が繋がれて、炎を見た時と同じ信号を送られたとすればどうなるでしょうか?

その炎に強い臨場感、つまりリアリティを感じさえすれば、物理的に目の前に炎があるのと同じ反応をするはずです。

夢の中で「崖から落ちた」と思えば、足がびくんとして起きてしまうということがあります。

この時、実際に崖からは落ちていません。

夢の世界に強いリアリティを感じていたからこそ、意識が反応したのです。

では、相手がいきなり喧嘩モードの空気を出した時、自分の意識はどうなるでしょうか?

喧嘩モードに応戦するように同調するか、怯んでしまいますね。

仮に相手が怯んでしまうほどの気迫なら、意図して物理的に何かをしなくても相手は勝手に怯んで譲歩したりします。

という構造を無意識にやっているのが「がめついおばさん」です。

で、そんな感じで、空気感だけで相手に何某かの情報の伝達が行われているという感じなので、それをさらに進めて、意図した情報状態を作り出して、相手の意識状態を変えてしまう、それが魔法だと思っておきましょう。

ペルソナの発動

ペルソナの発動に関して言えば、自分が相手に影響与えるのではなく、代理人格としての情報状態を別に作り出して、そのペルソナにあれこれやってもらうというものです。

意識の面で言えば、無意識に委ねているということになるのでしょうか、今自分がメインで感じている意識の他に、別の意識状態を生み出すという感じになるのでしょう。

といっても、リアルポケモンGOのように各地で手に入れたペルソナがいます。これはつまりその場所にあった情報状態ということです。

根本的に物理世界自体が、一番具体化された空間であると言うだけで、この世界は全て情報の状態であり、心はそれを受け取っているにしか過ぎません。

それが体感でわかると、ペルソナの発動くらいすぐにできるようになります。

一応、普通の人が観ると、ただの空気感の緊張争いのように感じるはずです。

しかしその裏では確実に無意識の情報とエネルギーがぶつかり合っています。

まあそれをあえて表現すると、ペルソナバトルという感じになります。

だから不思議なことではありません。

ただし、そうしたエネルギーは量子的に相互関係を持っています。だから通常考えられる物理的な制約を飛び越えてでも可能なのです。

と、これ以上書いてもおそらく理解できないと思いますので、このへんでやめておきます。

ただ、ペルソナの発動ができたところで、幸せを感じ続けられるわけではないですよ。こんなことはオマケです。

下手にやると氣力不足になりますし、変な欲や怒りが加速することになりますので、月刊ムー程度の話だと思っておいてください。もし「自分も使いたい」と思う気持ちがあれば、少年ジャンプなどに洗脳されていると思っておきましょう。

というわけで、変な占い師や祈祷師の儀式が、時に効いたように感じるのも、所詮情報が変化したと言うだけの話なのです。

「不動明王の力で悪霊を退散させた」ってそれっぽいでしょ?

そんなことをするより、慈悲に満ち溢れた状態でいることです。

下手に意識して、「何かをコントロールしなければならない」という思いに駆られることこそが煩悩ですからね。

Category:miscellaneous notes 雑記

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