「我こそは」という勘違い

数年前から会社宛に一方的に送られてくる営業メールの中に「我こそは」という勘違いが含まれるようなものがたまに紛れ込んでいたりします。

端的には「インフルエンサーマーケティング」たるものであり、「フォロワーが多いですよ」ということで、「広告宣伝効果がありますから宣伝してあげましょうか?」というような営業メールという感じです。

そういうのはB層を相手にした胡散臭い情報商材などの空間でやっておいてくれというのが本音ですが、「世間一般にも認められたい」ということからか、企業あてに営業メールを送ってきたりしているわけです。

登録もしていないのにヒゲとメガネの胡散臭い野郎の画像つきで「登録していただいた方にお送りしています」などという序文をつけて送りつけてくる業者もいます。

私のネームバリューで

特に何かを成した著名人というわけでもない、何者かになりたかったものの、何者にもなれなかったものが、何者かになったかのように振る舞い、「私のネームバリューで」などと営業をしてくるさまは滑稽に映ります(著名人であってもそれはそれで落ち目に映り滑稽です)。

こうしたインフルエンサーマーケティングのようなものも「我こそは、という勘違い」という感じがしてしまいます。

そんな中、さらにひどい事例では、「動画等々で紹介してやるから、料金をタダにしろ」というようなことを平気で言うというような感じのことも起こっているようです。

だいたい取材等々を受ける場合は、お店側が無料で料理や商品を提供したりということがあったりしますが、そうした構造を勘違いしてか、「この私が紹介してやるのだから」というような謎の傲りを持ちながら一方的にやってくる場合もあるようです。

昔からその手の人はいるという発見

これは一見現代特有かのように思えてしまいますが、こうした構造は古くからあります。

先日、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいたところ、次のような箇所を見つけました。

一昨夜も料理屋で同じような事件があった ― 昼食はしたが金を払わない。そして「おれは、そのかわり、このうちのことをユーモア小説に書いてやる。」こう言うんだ。

(ドストエフスキー「罪と罰」第一巻 p.165-166 中村白葉訳 岩波文庫)

罪と罰は1866年の作品であるため、150年以上前になります。その時代のロシアでも同じようなタイプの人間がいたのだというようなことを思うと面白く思ってしまいました。

Category:miscellaneous notes 雑記

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