心をときめかせるに足る珍品

昔から物欲があまりないので、物によって心がときめいたという経験は少ないのですが、やはりなるべく汎用製品ではなく、電気も通わず、手の込んだもので洒落っ気のあるものが良いと思っています。

家電屋さんで買えるものよりも手紙のほうがありがたいという感じになり、代替性がないほうが心ときめくのは当然といえば当然で、それそのものが持つ便利等々の機能がなければ無いほどよいという感じになります。

電子的な通信が一般的となった現代では、いきなり旅先から届いたポストカードですら「心をときめかせるに足る珍品」となりうるようになりました。

「普通はそんなことをしない」と思われることこそ、強烈なインパクトとなり得るので、電子的な情報空間に依存しているときこそ物理的な臨場感の方で思いを形にしたほうがよりときめきが起こりやすいということを思ったりします。

そういえば、トルコに行ったときのことですが道端で花売りをしている女性がいました。30代くらいでしょうか。

そうした人をその前にもちょくちょく見たので、そうした人たちのことを現地の人に聞くと、国教ではなくなったものの一応イスラム圏なので、女性はあまり教育などを受けられず、離婚してシングルマザー等々となった場合には働こうにも働き口があまりないという感じのようでした。

まあそうした点は地域や家庭にもよるでしょうし、異なる文化圏なので、その実はよくわかりませんが、人通りはそこそこあるものの、別に記念碑に花を添える系の観光地でもなし、まあなんでこんなところで売っているのかという感じでした。

まあ仕事という仕事がそれほどないという感じなのでしょう。

全部売ってもいくらになるのか、という感じでしたが、旅の記念にと彼女が持っていた花をすべて買うことにしました。

ということで、持って歩くのも何なので、その花売りの女性にプレゼントしました。

あまり言葉は通じませんでしたが、彼女は微笑んで、自分の髪にその花をつけ、また、僕の胸ポケットにも一本添えました。

普段ありふれたものでありながら、そのモノの意義はこんなふうに変えることができるということを教えてもらった良き思い出です。

Category:笑う月

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