平成から令和へ 一応振り返る平成

令和になりました。平成から令和に変わったので、「一応振り返る平成」といった感じでちょっとだけ平成について思い返してみようと思います。

こうしたタイミングに反応するというのも微妙ですが、一応数十年に一回なので触れていこうと思います。

ひとことでも触れていましたが、僕は昭和生まれなので、昭和・平成・令和を経験していることになりますが、僕より年上の人たちは昭和を経験しているので僕たち世代だけが特別なわけでも何でもありません。昭和から平成とか、世紀末・ミレニアム・21世紀という節目もあったので、あまり盛り上がりません。また、ひとまず第一印象は、先日、実家に帰った時にテレビから流れてきた「令和」の発音に一瞬関西人として苛立ちを隠せないという感じくらいです。

平成に突入したのは1989年の頭であり、そのタイミングでは僕は幼稚園児でした。世紀末の1999年からミレニアムの2000年、21世紀のはじめである2001年の頃は、中学生から高校生でした。

そういうわけなので、世紀末・ミレニアム・21世紀の時は多感な時期なので、多少は騒いでいたと思います。ノストラダムスの大予言的なものもありましたし、95年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などもあったので、なんだか少し現実味もあったような雰囲気でした。

昭和も激動の時代でしたが、平成も途中までは激動感がありつつ、途中から惰性という感じがしています。

バブル崩壊からそれが身近な領域にまで浸透してきて、雰囲気が変わったのが1992年位でしょうか。バブル崩壊には株式市場と土地という二段階の崩壊があったので、まさに本格的なバブル崩壊が起こった頃という感じです。

それまでは、80年代のニオイがしていましたが、90年代らしさが出てきた感じです。

この頃から90年代半ばにデビューされた音楽アーティストなどが現役で活躍されているのはありがたいですが、「それからは極端な変革もなく、進歩をしていない」という雰囲気すら持っています。

ただ、平成元年から平成十年過ぎくらいまで、21世紀突入くらいまでは、毎年のように次は何が起こるのか的なワクワクがありました。幼稚園児の頃から高校生くらいまでの間です。

仕掛けへのレスポンスもすごく、ブーム的な流れもよくあり、一度流れができればしばらくはその空間が全体を覆うような感覚がありました。ムーブメント的なやつですね。

一応不況には突入していましたが、お金の使い方がバブル期とまではいかなくても思い切りがあったような感じがします。

まだマーケットインよりもプロダクトアウト寄りで、人の意見を伺うというよりも、仕掛けて反応させるという感じでした。

平成に入ってスーファミが出たり、Jリーグが開幕したり、スラムダンクが流行ったりなど、それまでの子供の遊びや関心が分散するような形になりました。その後もギャルが流行れば流行りっぱなしという感じで、何かが流行れば全体がそれに従うような雰囲気がありました。

特に変化を感じたのはやはり1995年位でしょうか。

先に触れた地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災、Windows95や小室ファミリー全盛など、ありとあらゆるものが劇的に変化していったような感じがします。

その後世紀末あたりでコンピュータ・インターネット、そして携帯電話・PHSが普及しだしてきて社会のあり方が大きく変わりました。

しかしその後2002年、2003年位に全ての変化が終わったような気がしました。

街行く人の服装が普通になり、特に流行というものがない感じ、そんな雰囲気になりだしたのがその頃だったように思います。

バンド・ライブハウスからDJ・クラブへと興味を含めて人が移動したのもその頃ですが、クラブにおいてもその後、音楽好きの人たちの場から「音楽のことはよくわからないけど異性に関心がある人たち」の出会いスポットに変わっていってしまったフシがあります。

少なくともその少し手前ではまだユーロビートとパラパラという一大ムーブメントがあり、男女ともにそうしたカルチャーを楽しみに行っていた感じがありました。

しかしその頃を境に、色々なものが終わった感がありました。

ユーロビート系の音楽やカルチャーは、その後少しはトランスへの以降はありつつも、パラパラ全盛期ほどのムーブメントは引き継ぐことができなかったという感じでした。

良くいえば興味関心の細分化、悪くいえば変化無き時代に突入したという感じでした。

そして、働き方に関しても、最終期にフリーターという言葉が浸透し、また、派遣という仕組みができたりして、人々が使い捨てられるような時代に突入しました。

これが幼稚園から高校卒業くらいまでの僕たち世代と重なります。

ここまでで平成の半分くらいです。この間はたくさんの変化がありました。しかし残りの半分については、自分が20代に突入したという部分を差し引いても社会の変化が惰性であったと思っています。

新しい世界が広がるということはほとんどなく、何かが制限されていくだけの感じになっていたような気がしています。

確かに技術的には、ガソリン車からハイブリッド車へとか、ガラケーからスマートフォンへという感じなどがありました。

しかし確かにメジャーアップデート級の出来事ではありましたが、馬車から自動車とか、手紙から電話、電話から携帯電話という感じの変化ではありません。

こなしている機能がより利便性を持っただけ、そんな感じです。

ただ、普及対象が広がったので、コミュニケーションなどには変化があったような気もします。

メッセージ機能などに関していえば、旧来からの携帯電話のメール機能とさほど変わりませんし、僕たちが高校生の頃も、画質は悪いですが写メールというものがありました。

しかしそれが円滑になり、また普及率が増えたので、コミュニケーションがデジタル的になったという部分はあるような気がします。

携帯電話が普及しだした頃から、彼の携帯電話を盗み見するということはありましたが、直接話をすることよりも、そうした機械的な履歴を見ようとする流れが加速したような感じがしました。

mixiが台頭してきた時、喧嘩をしている者同士が、直接話をすることもなく、お互いのアカウントを覗いて様子を見るというような異様な流れが出てきました。

逆に掲示板やブログやSNSの出現により、今までなら出会うことのなかった人たちとの出会いや、能力があってもチャンスがなかった人たちに機会がもたらされるということも起こりました。

僕たち世代以前の人はそうした携帯電話やインターネットというインフラが整っていなかった時と整った後を経験していますが、生まれたときからインフラが整っていて、それ以外の形を体験していない人たちとは、おそらくコミュニケーションのあり方にギャップがあるのではないかと思います。

高校生くらいから二十歳くらいの時の話ですが、少し年が下の人達との間ですら、携帯電話の普及のタイミングのズレから、「家のインターホンを鳴らすことがおかしい」というような感覚のズレが生じたりしていました。

誰の家かといえば、その人のご両親の家なので、家に入れてもらうのにインターホンを鳴らすのがそんなにおかしいのかと思いましたが、僕たちよりも若い時から携帯電話を使っている人たちにとっては、家の前から電話をかけるとか、メールを送るのが常識ということになっていたようでした。

たった数年のズレでこうしたことが起こるのだから、より年が離れていればもっとギャップは大きいだろうと思います。

しかし、僕は「友達の家に遊びに行くならインターホン世代」なので、社会に出てから企業に訪問するときにもたじろくことなくという感じですが、もし、インターホン慣れしていない人であれば、その時点でオロオロしてしまうかもしれないということを個人的には思ったりします。それはそれでいいですが、結局どこかでそれを埋めることになるという感じがしています。

平成も半ばをすぎると、新しいムーブメント的なことはほとんど起こらなくなりました。

新しい何かが出ても、結局マイナーアップデートにしかすぎないというような感じです。

それはきっと令和になっても同じです。

なので特に盛り上がりはありません。

平成においては、一応最初と最後だけ見ると大きな変化がありました。しかしその変化率は、平成の最初と半ばを見てもほとんど同じという感じがします。

平成も前半は一年ごとに特色がありました。でも半ば以降はありません。特に日本独自で起こる変化というのはほとんど無かったように思います。

それだけ、仕掛け人の仕掛けが効かないということでもあり、また反応せずにいる、というものではありますが、反応しないながらも彷徨い感が否めません。

あくまで例えですが、その頃はある意味でカルチャー的な新興宗教のような部分がありました。なので信仰のような感じでブームに乗るという感じさえあれば、それで憂いはないというような感がありましたが、途中からはニーチェ風に言うと「神は死んだ」というような感じになりました。

全体としての「流れ」が生み出されにくいので、これからはもっと二極化が進むでしょう。

二極化を憂うのであれば、それはきっと恐怖心です。そう思う根底には、きっと「弾かれる方に入るのではないか」という思いがあります。

「二極化が進むのであれば一人勝ちだ」と思えてこそ、令和の時代を生き抜いていけるような感じがします。

Category:miscellaneous notes 雑記

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