天才の道徳的な狂気

世の中でなされる悪の四分の三は、恐怖感から起こる。そして恐怖感は、何よりもまず生理学的な現象である! 曙光 538 末

天才の道徳的な狂気ということで、世の中の様々な活動を見てみると、とりわけ歴史なんかを読み込んでいくと、「この人たちは、結局何がしたかったんだろう?」と思うような出来事がたくさんあります。

後世に天才と評価されるからには、何か大した事を成し遂げたというような感じにはなりますが、その内容をよくよく見てみると狂気じみていることがよくあります。

なんだか志が高いということで、美徳のように捉えられているようなこともたくさんありますが、まあそうした結果は結果でいいとして、なぜそんなことを意図として持ってしまったのかを考えると大半が恐怖心発端だという感じになってしまいます。

天才といえばその判断の目安として出されるのが、IQ(Intelligence Quotient、知能指数)です。しかしIQが高いだけでは様々な問題を生じさせてしまいます。そうした旨を一番最初に教えてくれたのはダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」の序文でした。高い知能がどう発揮されるか、というところが問題です。

また、天才といえば単に知能が発達しているだけでなく、「脇目も振らず」と言った感じで物事を進めるエネルギーを持っていたり、そのエネルギーで人を感化してしまうような人も対象となるでしょう。

天才と表現していいのかはわかりませんが、「人類を救済する」なんてなことで無差別テロをしたり、「人種を根絶やしにする」なんてなことを志とした人たちもいますが、不倶戴天なら不倶戴天で、関わりを持たなければそれでいいだけではないでしょうか。

「何かを成し遂げること」に使命感を持つのは勝手にしてもらえばいいのですが、全てを差し置いて本人が苦しいだけになってしまっていることがよくあります。

さんざん書いてきたことですが、最も抽象的に捉えた場合は、「幸せな状態」でいたいだけのはずなのに、「そのためには」という条件をアイツがどんどん作っていって、結果それらに縛られ、いつまでも煩悩状態になっているという感じになっています。

必要な条件のようなものは全て改めて「手に入れなくても」揃っています。

それを断固として認めていないのは、他でもないアイツです。

仮にアイツに付き合って、何かの条件を揃えていっているようなつもりになっても、また新たなる不足、新たなる排除の対象を作り上げていくだけの永遠の輪の中です。

心底思いこめば、現実的にもそうなる

心底思いこめば、現実的にもそうなるということで、「そうか、心底思いこむのだな」と思った人は少し違いますので、先に言っておきます。

心底思いこむということは意図的には不可能だからです。

数%の懐疑が残りますからね。

いいところ心底思いこんでいるフリをするのがせいぜいです。

しかしながら、世の中には、純度100%で思い込んでいる狂人がたくさんいます。

そうした人たちは新興宗教の教祖になったりしています。

ある種思い込みの天才ということになると思いますが、カルト宗教や思想カルトなど、暴走するような思想団体の教祖等々は、狂気的ではありながらも信念を貫き通す天才ということになります。

そしてその一方で、傍から見ると

「えー?こんなのどうやったら信じれるんだ?」

と思うようなことでも信じていくような人たちがいます。

また

「えー?こんなもん売れるわけないよ…」

と思うものでも売れていたりします。

開運グッズを買う人達

未だに「宝くじが当たる数珠」なんかを買う人がいるから、そういう業者もあるわけです。昔から現在に至るまで様々な霊感商法というものは後を絶ちません。

開運グッズを筆頭に霊感商法なんかにハマるわけがないだろうと思いがちですが、そうしたものが一切通用しなければ、既にそうした業者はこの世にありません。

少し余談ですが、少し前「祈祷詐欺」「悪徳霊感商法」みたいな感じで、それに加担した寺の総本山である京都の某寺院も叩かれていました。

そのカラクリが客観的には笑ってしまうようなものなのに、ハマってしまう人は本当に本気というところに狂気があります。

「開運グッズを買ったのに効果がない」

というクレームの電話を入れて来た客に

「その商品で効かない場合は、よほどですから祈祷が必要です」

と言って、祈祷ツアー何かをまた別件で売りつけるという手口でした。

厳密に言うと本人は相応の効果があると思って払っているので、詐欺ではないですけどね。

墓場ビジネスと霊感商法

本人の思い込み度合いによる気迫

さて、そうした狂気じみた新興宗教ですが、その教祖の思い込み具合が同調現象によって周りに伝播します。

狂気じみてはいますが、ある種思い込みの天才という感じで、自分の信念に疑いを持つことすらない人たちの気迫は、周りの人たちを感化していきます。

以前「交渉の本質 アイツの判断による小手先のテクニックを追うな」で少しお伝えしていますが、小手先のテクニックなんかよりも、本人の思い込み度合いによる気迫のほうが圧倒的に強いのです。

表面上の言動だけを真似ても再現できないことの理由はそんなところにあります。

天才の道徳的な狂気 曙光 538

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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