味やロマンと駄菓子の機械

味やロマンと駄菓子の機械ということで、駄菓子メーカーの事業譲渡について触れつつ、味やロマンと汎用性についてでも書いていきます。

そういえば我が家のスピーカーは、一度パワーアンプの電源を切るとたまに拗ねます。

再度電源を入れても左しか音を鳴らしません。

そんな時、一瞬だけでもボリュームをぐあっと上げると、何かが接触良好となるのか左右とものスピーカーが鳴り出します。

どちらかというとスピーカーが拗ねているというよりもパワーアンプがスネているという感じになるのでしょう。

でも何故かスピーカーの方を見てしまいます。

そんなことをしていると、ふと「この事を知っているのは世界に自分しかいない」というフレーズが浮かんできました。

目垢がつく

ある画商の人に聞いたのですが、絵画を買っていく人の中には「目垢がつくから早く下げて」という人がいるそうです。

この時初めて「目垢」という表現を知りましたが、絵画購入者は自分の買った絵が他の人に見られることを厭うということのようです。

「絵画って人の見えるところに飾るんじゃないんですか?」

そんなことを聞いてみましたが、意外と絵を買うような人は、家に飾ったり会社に飾ったりという感じではなく、「押し入れにしまっておいて、たまにこっそり取り出して眺める」というような感じの人が多いそうです。

まあでも考えてみればその感覚は「我が家のスピーカーの拗ね具合」にも近いものがあります。

そして確かに自分だけが知っているということ自体が相手との関係性の中での特別感にはなるので、それが彼氏や彼女であっても道具や機械であっても「自分ちのアンプで出すベースの音」であっても何某か特別な関係になっているということになりましょう。

それが趣味の分野ならより至高の趣味になりますし、人間関係ならば不可侵な関係性になり得るでしょう。

駄菓子の機械

そしてそれが仕事の分野であれば、その内容に需要があるのならば最強の強みになります。

特殊技術を持つ零細企業の多い東大阪の職人などは、大企業が頭を下げにやってくるほどの特殊なスキルを持っていたりということがよくあります。

経営論から言えば、特殊な技術に依存するよりも汎用性のあるやり方、つまり「誰がやってきてもそこそこ経営が成り立つ」というものも重要だとされ、大企業では概ねそんな感じになっています。しかしもちろんそれだけでは真似をされれば競争力がなくなってしまうのでそれだけで良いというわけでもありません。

さて、地元にも駄菓子の製造を行う零細企業がたくさんあります。

駄菓子屋の人に聞いたのですが、小さな家族経営の企業が多いそうです。駄菓子は結構手作りで製造されていたり、その会社が試行錯誤の上に開発した特殊な機械を使って製造されていたりというケースが多いと聞きました。

そんな中、どうしても事業主の高齢化が進み、閉業とともに消えていく駄菓子がたくさんあるようです。おそらくものの10年で、馴染みだった駄菓子は結構なくなってしまうという感じのようでした。

そうした事を受け、お菓子メーカーの中にも駄菓子に洗礼を受け、大の駄菓子ファンという人たちがたくさんいて、大企業に分類されるような企業の社長が家族経営の企業に事業承継の話をすることがたまにあるそうです。

いわば大企業の社長がその零細企業の駄菓子の大ファンであり、どうしても後世に残したいという思いを持って事業を買収するというような感じです。

そう考えると事業買収とかM&Aという言葉に嫌悪感を持つ人も、少しは印象が変わるのではないでしょうか?

さて、そんなこんなで、駄菓子メーカーとしては家族経営としてやっていることが多いので、工場も家と隣接、もしくは一体化しているというケースもよくあります。

そこで、事業承継にあたって駄菓子を製造するための機械を譲り受け、機械を別工場に移動させる形で大企業がその駄菓子の製造に踏み切りました。

しかし蓋を開けてみると、機械がうまく動かないそうです。

駄菓子メーカーの事業主がこだわりにこだわって機械を改造していったため、誰も操作方法がわからない、調整の仕方がわからない、というような事態が起こってしまったという感じです。

今後どの様になるのかはわかりませんが、結果的にとりあえずのところ、その駄菓子の製造はお蔵入りになったようです。

頭文字Dのハチロクや湾岸ミッドナイトの悪魔のZみたいな感じですね。他の人が乗ってもある程度は速く走れるでしょうが、究極的には本人でないと力を最大限に発揮することができないという感じです。

誰が乗ってもそこそこ速く走れると言う感じで、「乗る人を選ばない車」というのがひとつの企業経営のキーポイントとはなりますが、夢やロマンのようなものは「乗る人を選ぶ車」でないとやってこないというような感じです。

そんな感じで、いろいろな意味での「味」や「ロマン」は自分だけが知っている、自分だけが使いこなせると言った感じで、「その人」が色濃く反映されている必要があるのでしょう。

駄菓子メーカーの場合は事業主の人の感性や一種の哲学が「改造されまくっていた機械」に反映されていたのでしょう。だからこそ汎用性はなく、だからこそ大企業の社長に強い思いを生じさせるほどの製品を生み出せたという感じになります。

できれば駄菓子文化が続いていけばいいなぁとは思いますが、こうした駄菓子メーカーの製品製造にかかる事業の継続は、単にお金や機械を動かしただけでは何ともなりません。事業譲渡が行われるかなり前から誰かが修行に行かねばなんともならないのではないでしょうか。

ちゃんとした事業承継のプロセスを設計したプロジェクトとM&A用の「駄菓子ファンド」というものがあっても面白いなぁとも思いますが、そうしたことは人的インフラを含めてお菓子メーカーなどにお任せしましょう。

Category:company management & business 会社経営と商い

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