共通の話題にしえない運命があったからといって

年齢や地域や日常の生活が異なれば、それだけ同じ話題で盛り上がるという可能性は低くなっていきますし、国が異なれば共通の部分などもっと僅かなものになるので、話の内容がある種原始的になっていきます。

同世代の人達と会う時であっても、十代の時ならば同じような情報に触れていたりするので会話にも困りませんが、今頃となっては社会の中でどう生きてきたかとか、職場という単位を含めてどのようなコミュニティの中に属していたかという差が鮮明になってきます。より深いところの話となると、話も具体的になるので、語彙を含めた話題の共通項がどんどん狭まっていくという感じになります。

同じ分野でも切り口が全く異なる話題

同じような内容の話でも方向が全く違っていて、片や自分の抱える住宅ローンの話や「一国一城の主」的な話をしていると思えば、もう片方は不動産投資の利回りや税務的なテクニックの話をしているという感じで、発想が全く違っていたりします。

僕は不動産には手を出す気がないので話を聞く程度ですが、小売店の形態をとっていても、小売で当たれば継続、外れたとすれば又貸しで不動産運用という感じの企業などの方法論が話題になったりします。

例えば、定期借地で土地を借りて店舗を作り、小売が赤字になれば店舗としては廃業してハコを同業や異業種の事業者に貸すという形で、「損失は節税に使いつつ、不動産収益で投資の分を回収してトントンにする」というような感じの話です。

そうなると、お店が当たれば普通に収益が上がって、お店が予測よりも儲からないという感じになっても、まあ儲かりはしないもののほとんど損失は出ないという構造を作ることができるというやつです。

宅地造成で新しい道

そういうわけなので、消費という目線ではなく投資や事業という目線で考えてしまうので、消費の感覚しか持たない人とは話が合わなくなっていきます。

まあそれでも本人の喜びを台無しにするというのも変なので特に触れたりはしませんが、例えば本人が「一国一城の主」的な雰囲気に対して羨望を欲しがっていたとしても、僻みでも何でも無く冷めた思考をしてしまうので、驚きの声とか称賛の声を上げることはありません。なので、類は友を呼ぶというのとは逆で、合わない分離れてくということが生じたりします。

加速するギャップと埋まり難き情報差

経験が枝分かれし、細分化する前に全員が経験するような領域

話題がそうした内容になってしまえば、どうしてもそのギャップが生まれてしまうので、面白みに欠けるものになってしまいます。ということは、そうではない領域での話ならば齟齬無く会話が通じるということになりますが、そうなるとかなり原始的な内容の話になってしまいます。

とりわけ海外に行くとそうした事になりやすいということになりますが、海外でなくともそうした原始的な領域の話を「大人げない」と嘲笑するような人とは会話は成立しないということになってしまいます。

育ってきた環境や文化が異なる人達との共通項となれば、あまり具体化されておらず、誰にでも確認できるような領域になるか、経験が枝分かれし、細分化する前に全員が経験するような領域の話になるかくらいしかありません。

まあつまりは、スポーツ漫画の主人公などに憧れるまではいいですが、格好をつけるためにコロコロコミックをバカにしているようでは、他領域にいる人と会話が成り立たず成長することもできないという形になってしまうということになりましょう。

そういえば、今年の話になりますが、社長仲間と話しているとゲームの話になり「一番の名作はなんですか?」と聞くと

「幻想水滸伝2ですかね」

という感じになりました。

「むささび5集めたクチでしょ?」

というだけで、一気に仲良くなるというのが現実です。

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