古い土着の昔話の中には、非常に良い示唆に富みつつ、非常に洗練されているものが見つかることがあります。
それもまた「名もなき方が作り出した」というところに魅力があります。
そのような感じで、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中から僕が爆笑した僕好みの昔話をご紹介します。
民話・昔話の類型としては、笑い話となっていますが、笑い話を構築するにはロジックの揺れを押さえる必要があります。
子供相手にはちょうどいい論理展開ですし、それに加えて認知バイアスの問題も含まれているということで、分解すると奥深い感じになっています。
まあ単なる笑い話にそこまで深く考える必要はないのですが、これもまた昔話の奥行きの深さでありますので、別の楽しみ方として別の味わいを感じることもできるということになります。そうした多層的な感じがすごいなぁと思います。
短文なのに、いや短文だからこそ、と言う感じです。
ふるさと和気 民話編 90.三人馬鹿
兄弟がおって、弟が、
「来年の四月と五月とどっちが早(はよ)うくりゃあ。」言うたら、
兄が、
「来年のことがわかるもんか。来年のことを言やあ鬼が笑わあ。」言うた。そしたら、お父さんが、
「兄は兄だけあって、えれえことを言う」いうて褒めたいう。
語り手 和気町木倉 吉房藤太さん 明治二九年生
聞き取り 昭和四十六年八月十一日
話の型 笑い話、愚か者、来年にならねば
ふるさと和気 民話編 p.84
編集 和気町文化財保護委員会 発行 和気町
短文だが何重にも楽しめる多層性
この「三人馬鹿」は、「昔誰かに聞いた昔話」として民話集に掲載されていました。
誰が創作したのかはわかりませんが、作った人は天才だと思いました。そしてそれを後世に遺してくれた方々にも多大なる感謝です。
文化という姿を纏った諷刺にも似た構造がありながら、それがゆるく土着の昔話として語られているというところにも文化的な味わいがあります。
もちろんもしかすると形式自体はどこかから引っ張ってきたものだったのかもしれませんが、それでもまあ軽く諷刺的であり、落語的であり、短文で完結するスマートさを持っています。
単に三人馬鹿というタイトルをもって笑い話としてふわっと終わらせることもできますし、この昔話を題材に、論理や認知バイアスについて授業ができるほどの濃さも持っています。
その文体から、様子が浮かびますし、匂いまでしてきます。
この話自体は、後世に遺すためにと編纂してくださった方々がいて形になって残っていますが、同様のレベルを持った昔話で、既に消えてしまったもの、消滅しかかっているようなものも全国にたくさんあるのではないかと思っています。
「三人馬鹿」を話してくれた方が、明治29年(1896年)のお生まれなので、少なく見積もって仮にその方がまだ子供だった頃に創作されたものだとしても、おそらく100年以上前に作られた昔話だと思います。
「親子三人馬鹿」として、落語のマクラ・小噺でも類似話が有名なようですが、どこの誰が作ったのかはよくわかりません。
その時代に、その場所でこれほどのものが創作されていたと考えれば、その名が知られることがなくとも、いつの時代にも、どの場所にもすごい人はいたんだなぁということを思ったりします。
まあ現代で爆笑しているのは僕だけかもしれませんが、100年後でも通じる笑い話を作れるなんて何だか素敵です。
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