一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはないように、客観的な世界を仮定した場合、一人ひとりが社会の構成員であるように、言葉、情景といった一つひとつの記憶が膨大な無意識を構成するものであることには変わりありません。
それがどのようなものであれ、いずれ心的複合体として重要度の高いものとして発露することがあります。非常に微細なものであってもいつか何かしらの意図の発生の材料となっているという感じになります。
ひとつの言葉がきっかけとする連想
ひとつの言葉がきっかけとなって凄まじいほどの連想を呼び起こしてしまうということがあります。
例えば、夏ツアーで小諸市を通るたびにセーラームーンが出てきて、スーファミのセーラームーンのパズルゲームにつながり、そのゲームを持っていた「同級生の妹」が出てきて、その当の同級生が後に新聞沙汰の事件を起こしたことが蘇り、同様の別事件において犯人を懲らしめた人の名前が内田康夫さん(作家さんではありません)という名前だったことを思い出し、内田康夫さんという名前から推理小説となり、そこから志茂田景樹さんの快海警部が出てきて、「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉が出てきて落ち着く、といった具合です。もちろんこれは一例で、快海警部→シェリー→尾崎豊氏と連想が続くこともあります。
各々が断片的な言葉やシーンでありながら、ふとしたきっかけで蘇っていくといった感じです。
より良い言葉を使い、より良い物語を選ぶ
あらゆるものが材料として無意識の海を構成していくとしても、日常的に触れる情景や言葉たちが重要度を形作っていきます。
また、見えるもの、注目するものは、直近に見たものなどに影響されたりもするので、できるだけ明るいものに着目しておくに越したことはありません。
より良い言葉を使い、より良い物語を選ぶという感じです。
それでも自分を騙すことはできない
といっても心の底から自分を騙すことはできないので、何かをごまかそうとして無理をすると、それはそれで歪みを生みます。どうせなら意識が根負けするくらいまで自己洗脳を行うくらいしか術はありません。しかしそれすら、奥底では嘘をわかっているので、やはり歪みを生みます。
抵抗が起こると台無しになります。なので、解釈しだいで「まあ本当にそうだ」というようなものを用いるのがいいでしょう。
たくさんの明るい情報で濁りを希釈する
それでも内部循環が続く場合は、濁りを希釈すべく明るい情報のシャワーを浴びるというのもいいでしょう。
生存本能的な恐怖心から、意識は危険回避の目線で情報を得ようとするので、若干手綱を取るようにするという工夫は必要になるでしょう。
何かしら焦らせた方がモノが売れるということで、世間では危険を感じさせるような情報が中心になっています。しかしながら、それと同じとまではいかなくても、見渡せばそこそこ明るい話もあるはずです。
皮肉表現の合理性
言葉による影響を考えた場合、皮肉表現ですらある種の合理性を帯びているという側面があります。
人を指差す時、親指を除き残りの3本は自分の方を向いているということで、ある言葉を相手に向けて放つ時は、その3倍自分にも放っているというような話があります。
相手への意志の伝達が同時にその何倍も自分の無意識に送り込まれるのであれば、良い言葉を使うに越したことはありません。
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