アフォリズム 861-870
- 861.不完全な判断
- 862.頭の使い方
- 863.付き合う相手から学ぶもの
- 864.超人の真意
- 865.自由な振る舞い
- 866.想定の十倍
- 867.その仕事の最後の日
- 868.「気遣いの効果」からの抵抗
- 869.「なんとかなる」
- 870.現実を見破る
861.不完全な判断
自我による判断は不完全な判断である。不完全なものが不完全な判断をしているゆえに、まともな悩みではなく、悩みとして論理が破綻している。逆に完全なのであれば悩みはない。
862.頭の使い方
頭を使うにしても良いことに使うに越したことはない。
いかに大半の人が同意してくれる正論を構築したところで、不快さが際立つのであれば、頭を良いふうには使っていない。
863.付き合う相手から学ぶもの
付き合う相手から学ぶ最大のものは、「相手の意志に振り回されるとロクなことにはならない」という点である。
864.超人の真意
ニーチェのいう超人というものは、結局、この生を誰か上位の存在に委ねるということではなく、自分自身に委ねるという点である。
しかしながら、不安に汚染された、「なよなよした自我」はもちろん、あらゆる自我に委ねるということでもない。
自分自身に意識が向くのは良いが、その点が誤解を生みやすい。
865.自由な振る舞い
自由に振る舞うと、自由に振る舞う人を許容しやすくなる。
自らに自由を許さないと、他人の自由を制限するようになる。
866.想定の十倍
「これはこの程度の値段が相応かな」と思った値段の十倍に設定した方が、人々はありがたく思い、結果的によく売れる場合がある。勝手に自ら肯定理由を探して自己説得をしやすいという面もあり、同時に偽薬効果が生ずる場合もある。
客観的に想定した「合理性のある社会システム」が、なぜか実際にはうまく機能しない要因の一つである。
867.その仕事の最後の日
今までに何度か職は変わっているが、いつもその仕事の最後の日は、「そうか。これで終わりか」と、達成でも哀愁でも無いような、透明な感覚が訪れたような気がする。
868.「気遣いの効果」からの抵抗
「気遣いをすればするほど、粗末に扱われる」というような事が起こり続けると、自らの成長に抵抗がかかることがある。
それは、「見返りを求めている」というものと似ているが、「与えて、虚しくなるのであれば、これ以上与えたらもっと虚しくなるじゃないか」という感想に起因している。
直接的な見返りを求めているわけでなくても、粗末に扱われる度合いが高くなればなるほど、虚しさは加速していく。
これが「出世して大金を稼いでも虚しい」という観念を形成する。
しかし根本は、意識が現状に対して、未来に対して、知らぬ間に様々な条件を加えていくことにある。
869.「なんとかなる」
父の事業破綻などがあった時に、どこから持ってきたのか母がテレビの上に「なんとかなる」と書かれた木彫りの招き猫のような置物を置きだした。今もその場所にそれがあるのかは分からないが、その言葉のとおりになっている。
そりゃそうさ。
なんとかなる。
「なんともならないこと」というのはないのではないか?
なんともならないなんてことがどんなことか、想像もつかない。
870.現実を見破る
現実を見破るということ以上に大切なことはない。
ただこれは、現実を完全に判断できるようになるというものとは別物である。
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