アフォリズム 571-580
- 571.「お客さま」と「たかが客」
- 572.現代の生活様式や精神的負荷と聖典
- 573.当たり前と適性
- 574.老いを理由に断念する前にすること
- 575.臆病者が図太くなった時
- 576.世間的な正攻法では難しい
- 577.詐欺的営業の常套手段
- 578.無銭相談
- 579.疲れとユーモア
- 580.反射の観察
571.「お客さま」と「たかが客」
「お客さま」という感覚と同時に「たかが客」という感覚も保持しておかないと、相手にマウントを取られうまくいかないことが起こる上に仕事が嫌になってしまう。
仕事が嫌になると能力を発揮しきれないということにもつながる上に、人生が嫌になってしまうということにもつながる。
なお、勤め人の場合は、勤め先の客と、勤め先そのものが客に当たる。
572.現代の生活様式や精神的負荷と聖典
様々な聖典が示すのは、あくまで当時の時代背景を元に抽象化された基本原則である。そこに示される普遍的な理は正しくとも、食生活を含めた現代の生活様式や精神的負荷のかかり方には直接対応していない。
573.当たり前と適性
世の「当たり前」とされていることは、自分に合っているかもしれないし、合っていないかもしれない。合わせる必要はないが、自分に合っているのならば世間に合わせるような格好になっていても特段問題はない。
574.老いを理由に断念する前にすること
「口を開けば年齢を理由にして断念する」というようなことをよく見かけるが、一度普通を飛び越えた「ぶっちぎりの絶好調」という程度にまで腹具合を正してから再考してみた方が良い。
「腹痛がない」という程度だからといって、絶好調というわけではないということを念頭に置きながら。
575.臆病者が図太くなった時
元から腹が強く雑で図太い者は、腹が弱く臆病な者の気持ちや「物の見え方」を理解することが難しい。
もし腹が弱く臆病だった者が、腹が強く図太くなった暁には、他の「腹の弱い臆病者」の気持ちを汲み取りながら最適な言動を取ることができる者になるだろう。
576.世間的な正攻法では難しい
ある道なり何なりを進むにあたって、今まで通り「そのまま進む」ということが難しいことがある。そうした時に出てくる感想は「仕方がない」というようなものになるが、そのまま進むということが難しくなっているだけであり、何かしらの対策なり何なりが、世間的な正攻法のみとなっていて、そうした手法は取りづらいという構造になっているだけである。
この手の苦悩は、打開策が全く別の経路にあるか、そもそもの道が自分に適していないかということが原因となっている。
577.詐欺的営業の常套手段
金銭が絡むことであるのに、やたらと情に訴えかける方法を駆使するというのは、詐欺的営業の常套手段である。
578.無銭相談
営利活動をしている割に、他人の時間や労力、情報を奪い、お金を払わずに済まそうというロクでもない事業者が稀に存在する。
営利活動を伴わない相談であっても、食事くらいは用意してくれる人がほとんどであるというのに。
579.疲れとユーモア
疲れの度合いというものは、会話の中のユーモアの数に比例している。
あまりに真面目なことばかり考えたり話したりしている時は、疲れを自覚した方がいい。
580.反射の観察
「欲や怒りを生じさせるな」と言っても、ひとまずは本能としての反射が出る。
それをどう取り扱うかということについて、思考を超えて観察により見破るところから、苦の生滅を語れ。