アフォリズム 501-510
- 501.尽きた関係性のエネルギー
- 502.学習環境
- 503.いい人認定で釣ろうとする者
- 504.相手の考えと付き合い
- 505.理解と容認
- 506.厚かましさの自認
- 507.洗脳下での情動を根拠にした論理
- 508.理解の努め
- 509.概念としての慈悲と葛藤
- 510.原因の無効化
501.尽きた関係性のエネルギー
関係性のエネルギーが尽きると、頭でどうもがいても、関係は切れる。ただ、相手が生命である場合は、様々な距離が位置エネルギーとして機能する。
502.学習環境
中学生の時、1つ上の学年の者たちがいなかったら、5倍は学習が捗っていたことだろうと思う。ただ同時に、音楽への興味も1/5に減少していたのではないか、ということも思う。
503.いい人認定で釣ろうとする者
「いい人だと思ってたんですけどね」などと言い、いい人認定で釣ろうとする者、自己都合を押し通そうとする駄々っ子がいたとしても、そもそも「いい人だと思われよう」という気がなく、さらにそんな「いい人認定で釣ろうとする者」からのいい人認定を欲するわけがないという点から、そのような言動を爆笑してやることができる。
504.相手の考えと付き合い
相手の考えを改めさせてまで、その相手と付き合いたいとは思わない。
どうしても考えを改めさせなければならないと思う時、我が見解への執著が潜んでいることもあるし、相手との関係性において切るに切れないという執著が潜んでいることもある。
505.理解と容認
いま現時点でそう考え、そう思っているということは理解するが、だからといって一種の表面上の容認はあっても心底容認するわけでもなく、何かを差し出すわけでもない。
506.厚かましさの自認
厚かましい者は、その厚かましさを自分でも分かっていない場合が多い。
507.洗脳下での情動を根拠にした論理
洗脳下にある者の情動を根拠にした論理はあてにならない。
大なり小なり偏見が含まれているのであれば、たいていのものは論理として不完全ということになる。
508.理解の努め
犯罪者やクレーマーのような者が持つ論理や行為をそのまま受け入れる必要はないが、ある側面からは何かしらの正当性を持つかもしれない。そうしたものを理解する余白、理解しようとする余白を、落ち着いた平常心で保持しておいた方が良い。
犯罪者やクレーマーの持つ論理が偏った見解であるとしても、哲学領域に達しないような「客観性を欠いた何かの常識的論理」も一種の偏った見解であり、客観的な絶対性を持ち得ない。そうであるのであれば、それら偏見を受け入れないにしてもひとつの反証として、また、抽象的な問題点の抽出に一役買うものとして、多少なりと理解に勤めた方が良い。
509.概念としての慈悲と葛藤
慈悲の概念というものは、時に矛盾による葛藤を生み出す。
510.原因の無効化
思い当たるフシがないことであっても、何かしらの原因と条件によって生じているということになるため、原因が消えるか条件が揃わなくなるかという形にならない限り、同じような現象は続く。
「考えうる原因を叩き潰す」という視点よりも、「どのような原因であれ、それを無効化する」という視点を持っておいた方が良い。
「現象が起こっても気にしない」という状況が続けば、現象は生じなくなるか、残り滓として現象が生じたとしても、徐々に消えていく。
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