アフォリズム 511-520

アフォリズム 511-520

  • 511.美しくも沈鬱を呼び起こすもの
  • 512.抽象化して捉える集中の方法論
  • 513.時事への反応
  • 514.不殺生、布施、慈悲の矛盾
  • 515.行為としての慈悲
  • 516.自由意志
  • 517.女子供の意見
  • 518.嫌がらせの是非
  • 519.普遍的部分と伝統
  • 520.この苦の消滅

511.美しくも沈鬱を呼び起こすもの

美味ながら腹を壊す食べ物のように、良いメロディではあるものの気分を沈ませる曲や、美しくも勢いを奪うような絵や写真がある。

512.抽象化して捉える集中の方法論

何かしらの文言を唱えるような集中の方法論については、その文言自体に力があるわけではなく、その行為への集中が、集中力を高めているというだけである。だからこそ古今東西それに類する方法論の具体的内容はバラバラになっている。

安らぎや集中に対してそれら何かの具体的な方法を条件化するべきではないし、まして固執するようなことではない。

513.時事への反応

何かしらの重要な意図があったり、特に意見を求められてもいない状況で、常に時事への反応を示し、意見を説くようなものは、人に影響を与えたいという意志を生む自尊心の欠落があるか、もしくは何かしらの権威商売をしていると推測される。

514.不殺生、布施、慈悲の矛盾

不殺生を叶えるために、人に食事を布施をさせ、その布施には功徳があるというような構造は、理解できなくもないが、社会的に見れば厚かましさがふんだんに含まれている。

構造上相手に殺生を肩代わりせよ、ということになるので、これは相手のことを思っていないような「慈悲との矛盾」が含まれる、というようなことは、推測すらできないのだろうか。

そうした論理構造上の問題を見事解決するようなこともしっかりと説かないと、他の言葉の信憑性も落とすことになりかねない。

515.行為としての慈悲

行為としての慈悲を「条件化」すると思考によって混乱が生じる。

致し方なく思考によるのであれば、欲や怒り、痴によらないものとして、つまり、不貪不瞋不痴の側面から行為を選ぶとこの混乱を避けることができる。

516.自由意志

自由意志があるとすれば、それは意志の外側である。

517.女子供の意見

女子供の意見というものは、近視眼的になりやすいため、合わせすぎてはならない。

例えば「子供が遊べる大きな部屋」「走り回っても騒音が響きにくい仕様」というものが、様々な角度から総合的に勘案して確実に良いものなのかどうかということは、本来極めて慎重に考える必要のあるものになる。

518.嫌がらせの是非

感覚的偏見かもしれないが、ただ単に本当に弱い者に嫌がらせをしても笑いとして面白い要素がないと感じる。

あくまで例えば「偉そうなやつが嫌がらせをされて怒り狂っている」というコントラストが、抑圧の解放としての機能を持ち、笑いになると考えている。

これは、普段偉そうにしている者への違和感、マウントを取り返したいが立場上難しいと抑えている部分等々が解放されるからこその情動である。

単に弱いだけの者に嫌がらせをすることは、抑圧の解放という要素がないため、笑いとして成り立っていないと考える。

ただ、表面的には相手の方が弱そうでも、環境条件等において相手の方が恵まれているというような間接要素があるという面は、多少なりとも推測する。これは、本人への怨恨ではなく、本人を社会環境、社会構造の象徴として扱っているというような可能性である。

ただ、笑いとしては成立していないため、笑いとして成立するような方向、つまり、矛先を「本当に普段から偉そうなやつ」にする等々、多少なりとは意志を向け直したほうが良い。

519.普遍的部分と伝統

普遍的な部分においては、普遍的であるがゆえにいつでも通じるものとなるが、伝統として守られている部分に関しては、環境、文化の変化により、現代では通じないか通じにくいものとなっている部分があると考えられる。

520.この苦の消滅

あくまでこの苦の消滅、この心の安らぎが目的であり、伝統や歴史、学術的な内容などは、どうでもいい。

普遍性、再現性、広い意味での論理性が保たれ、実際に安らぎに帰するのであれば、他人との合意や協調、評価、学術的な正しさなど、どうでもいい。

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