アフォリズム 341-350
- 341.忍耐と冷酷な残虐性
- 342.いい人認定
- 343.略すことを抑制する
- 344.人の目に対するカウンターアタック
- 345.音楽と静寂
- 346.考え事と雑事
- 347.沈黙の不快感の利用
- 348.思考の追い出し
- 349.趣味と商いと閾値
- 350.目を閉じた時に起こる現実
341.忍耐と冷酷な残虐性
ある種の女は、相手に惚れた場合には驚くほどの忍耐が生じる一方、相手に惚れていない場合は、驚くほど冷酷な残虐性が生じる。同一の人間であるのかを疑うほどに。
342.いい人認定
世間で言うところの「いい人」という評価は、主に「自分には害がなく、バカでお人好しで、自分にでもコントロールが可能な人」という評価が含まれる場合がほとんどである。
343.略すことを抑制する
若年の頃を筆頭に、略語が多用されている語であっても略さずに話す、ということを心がけていると、大半の人に知的でしっかり者だと思ってもらえる。その逆もまた然りである。
若年の頃は、仲間意識の形成や大人への排他的意図からそうした話し方を意図的に行うが、そうであるのならば、それを解除することは様々な壁を無くすということになる。
344.人の目に対するカウンターアタック
こちらに向かって発して殴りかかってくる者がいた時、後ろに下がり逃げるのではなく、相手の挙動を見切って、前に飛び込むと、相手をふっとばすことができる。
それと同じように、人の目が気になるのであれば、思いっきり人の目を惹くような格好をしてみる、というのも、物事の実際を観察するのには役立つかもしれない。
ただ、そこで得た解放感に囚われてはならない。
345.音楽と静寂
「周りの音をかき消すという意図で、音楽を嗜んでいたのではないか?」というところから、「思春期の頃から今に至るまで、本当に欲していたのは、静寂だったのかもしれない」と思うことがある。
346.考え事と雑事
日常の雑事が億劫で、捗らず、疲れてしまうのは、その作業中に考え事をしているからである。その作業自体は、本来それほど労力を必要としない。
とりわけ様々な雑事について、不平不満の思考が働くと、その思考に力を注いでしまう。それが疲れとなり、捗らず、という記憶となり、その記憶を想起することで億劫になる、という構造になっている。
その不満感は、他人との関係性だけでなく、他の楽しみや暇つぶし、中断された物事などを想起することでも起こる。現代では仮想空間への「常時接続」がそれを加速させていることだろう。
347.沈黙の不快感の利用
両者が沈黙するというのは、双方に不快感が起こりやすい。そこでその状況を打破すべくどちらかが話し始めることになるが、この時、話し始める方が何かしらの譲歩をしやすい。こうした構造を利用した営業手法を意図的に行う者もいる。
こうした構造さえ知っておけば、譲歩の衝動から逃れることができるだろう。
348.思考の追い出し
人は、それそのものを楽しむというよりも、思考を追い出すため、すなわち自然発生する思考に意識を向けなくて良いから、という意図でエンターテイメントに触れることが多い。
ただ、こうした方法は、一時的に追い出すに留まり、また、別の妄想を生じさせる。
349.趣味と商いと閾値
多少なりとも種類や数量的な多さがあれば、それが商いとして成り立つことがある。ただの旅の写真であっても、覚えた英単語数であっても、ある一定数までは趣味の範囲になるが、ある数を超えると仕事につながることがある。ただし、こうしたものが仕事として成り立つかどうかは、世の需要による。
350.目を閉じた時に起こる現実
目を閉じても瞼の裏が見えるだけであり、視覚が完全に停止するわけではない。ただ、その時には、あるように見えていたものはひとまず消える。先程までは見えていたという記憶も、目を閉じた今、現実にそこにあるかどうかを保証はしない。その時、音がするならば音、触った感触があるのならばその感触が薄れていくたび、あるということはどんどん遠くなる。
この時、おそらくあるだろうという蓋然性のみが残る。しかしあるのかないのかということより、あれば何なのか、なければ何なのか、あってもなくてもどちらでも良いのではないか、というところを観察するというのが、本来的な現実の観察である。
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