わづかに兵書の旨を察めしによりて

経営やマーケティングの分野においては、よく戦略や戦術という言葉が使われたりします。これらは軍事的な理屈からの応用だったりもするので「戦」という字が入っているのもわかるのですが、どうも商い・経済活動を戦いと考えるのは、少し偏っているというふうに思えてしまいます。

様々な合理化の考え方の根底に「最大の合理性は奴隷化や略奪、そして支配による搾取である」という発想が抜けきっていないというようなフシが垣間見れることがあります。

方法論が具体化し、手段が目的化して他の要素が歪む

ただそうした発想は、モデル化において総合的な視点が省略され、目的や目標が絞り込まれているからこそ出てくるのだと思っています。そして結果的に最良の策にはなっておらず、他の要素において不足が生じるという感じになっています。

すなわちこれは、個としての幸福最大化において、いかにエネルギーの消費を抑え、快楽を最大化し、苦痛を最小化するか、ということがスタートにはなっていますが、その方法論が具体化していくにつれ、手段が目的化していって他の要素が歪んだ形になってしまうというような感じです。

勤め人の頃、詐欺的営業をしている上司たちが、荒んだ心を何とかもたせようと浴びるほど酒を飲み、豪遊しまくっていたという姿がわかりやすいものになるのかもしれません。

そうしたものだけでなく、例えば時間の省略という部分では合理的に機能しているものであっても、対人的なコミュニケーション機会の喪失により気が狂れやすくなるというような現象も同じようなものです。

あるひとつの要素に関して合理性を追求した結果、非自然的となり、精神や動物としての機能の面で弊害が生じるという感じです。

結局歪んだ分を矯正するのにまた手間をかけているのでは、本質的に合理的とは言えません。

策略的に絡んでくる人たち

別に戦として考えなくても、友だちとして付き合っていけばいいということになりますが、どうしてもたまに策略的に絡んでくる人たちが出てきます。

そうなると囚人のジレンマのように疑心暗鬼が生まれ、全体としての結果は良くないものとなってしまいます。

だからといって完全に排除するというのは友だちの感覚からはズレています。

しかしながら野放しにしていると策略により侵略されて被支配を甘んじなければならなくなるということにもなりかねません。

ということを踏まえると、そうした疑心暗鬼にはとらわれないようにしつつも「たまにはそんなやつが混じっているぞ」ということを考えられる頭を一応持っておくべきであるという感じになるでしょう。

ニオイを嗅ぎ分けて近寄ってくる策略家

とはいっても、策略的に絡んでくる人たちは、甘い人にばかり近寄ります。

わざわざ「返り討ちに遭いそうだ」という人のところにはいかず、「余裕で策略が通じる」という人のところにニオイを嗅ぎ分けて近寄ったりします。

ということは、ニオイを嗅ぎ分けるという習性を利用して、最初から防御壁を作ることも出来るということになります。

そして便利だ、好都合だ、と気を緩めすぎることは、相手にペースを持っていかれることにもなりかねません。「気づけば元に戻れない場所まで連れて行かれていた」ということもある、ということも念頭に置いておくほうが安全です。

何事も「戦」と捉え、戦のために兵法を学ぶということになると、「友だちがいない」とか「友情の美しさを経験できない」といったことを筆頭に本質的な幸福の最大化からはズレてしまうことになりかねませんが、「理性により可能性を知っておくこと」は、まあ概ねプラスにつながるでしょう。

わづかに兵書の旨を察めしによりて。

彼を知り己を知れば百戦殆ふからず。

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