ちょっとした想像力と抑止力

先日、銭湯に行った時のことです。兄弟数人の子連れが一組いて、そこそこ騒がしかったのですが、一番騒がしいのは父親と思しき大人でした。「わー」などとい言いながら、湯船に飛び込むくらいの感じです。

まあ奇声さえあげなければいい、と思いつつ、おそらくイクメンなどという言葉に踊らされ、妻や子どもの言いなりになって自分を保てなくなり、結果、「自分の精神の方を子どもに合わせないと発狂してしまう」というような状態なのでしょう、というようなことを思っていると…

倶利伽羅紋紋さんがやってきました。

倶利伽羅紋紋さんは湯船の中にいた僕の隣に入ってきたのですが、二人でその様子を見ていると、

「おーい、あんまり騒いだらあかんぞー」

と、いきなり態度を変えました。

さっきまで半無法状態だったにもかかわらず、急にそんなことを言うので子どもたちは変な顔をしています。

「もっと遊ぼう」

というような感じで子どもたちは接しているのですが、父親と思しき大人は「はあ…ごめんのぼせたわ」などと言って相手にせず、騒がなくなりました。

倶利伽羅紋紋さんは、その存在だけで抑止力になったわけです。しかしながら、ちょっとした想像力を働かせれば、その人が来なくても公共の場での振る舞いくらいわかるだろうというようなことを思ってしまいました。

という点を考えると、根本から「どうあるべきかがわかっていない」とか「何が何でも自由に生きるんだ」ということではなく、単に周りをナメていたというようなことになります。

相手はどんな人かがわからない

それで、ちょっとしたちょっとした想像力と抑止力についてですが、近年、マッチングアプリといったものがあります。それについて、相手がどんな人かわからないのによく利用するなぁ、というようなことを思ってしまいます。それは街中で声をかけると言ったことについても同様です。

反社、狂人、詐欺師、宗教・思想団体、様々なものが混じっていそうな感じがします。

それで得れるものよりもリスクの方が圧倒的に高いと思いますが、そうした点については、どんな感じで捉えられているのか、というところが不思議です。

弟に絡んできた若者

そういえば、数ヶ月程度前のことですが、弟が実家の近くで喧嘩を売られたようです。猛スピードで走る軽自動車がいて、「危ないなぁ」と思ってその車を目で追っていると急に止まり、「なんすか?」と言いながら20歳そこそこくらいの男二人組が出てきたそうです。

我が弟にいきなりそうした態度で接するという、それだけで結構面白いのですが、「相手はどんな人かわからない」というような、ちょっとした想像力は働かないものなのでしょうか。

こうした人は昔からたまにいて、田舎から京都に出てきて「体格だけで相手がビビると思っている実践未経験の体育会系大学生」に多い傾向にあります。

しかし、その時に絡んできた人たちは、少し離れたエリアの地元民だったようです。

弟が、「いやぁ。危ないなぁと思ってな。

やったろか?

2対1でもええで。

というよりも、喧嘩とかしたことあんの?」

と冗談半分にいうと

「いくつっすか?ここ地元っすか?〇〇(暴走族)って知ってます?」

と聞いてきたそうです。

その瞬間に弟は爆笑したそうです。

「おまえらそんな名前出しただけで相手が引くと思ってんのか?OBさんでもなんでも連れてきてもいいで。その前に、お前ら二人に言ってんねんけど」

「地元っすか?どっかいい銭湯知らないっすか?」

「おいおい、話ごまかしてんなや」

「すんません!」

「二度と横着すんなよ!」

ということで、去っていったそうです。

それらは抑止力として機能する

一応、悪は悪なので、必要悪という言葉は使いたくありませんが、そうしてリアルを見ないとわからない程度に想像力がないというのはどうかなぁということを思ったりしてしまいます。

ということで、稀に思ったりしますが、ホルモンバランス的な障害なら致し方ない面もありそうなものの、メスの中で「男になりたい、男らしくしたい」というようなことを言う場合、男社会のバイオレンス的部分についてはあまりよくわかっていないのではないかと思ったりもします。男は男で「男はつらいよ」の部分もあるわけです。

僕が中高生くらいの時は、街中の公衆トイレが血まみれだったりすることもたまにありました。実際にトイレの手洗い器に顔面を打ちつけられまくって血まみれになっている人を見たことがあります(歩いていて暴行現場に出くわしました)。なので、「日本は世界一治安が良い=嘘」と思っていました。

普通にしていると別に被害もありませんが、ちょっとモテようとしたり調子に乗ってみたりすることは、それなりのリスクがあったわけです。なので、殴られないような年齢になってから「わたし、ではなく、オレ」というようなことを言われても…というような感が若干あります。

ちょっとした想像力

「相手はどんな人かわからない」とか「図に乗るにはリスクがある」というようなことは、実害がなくてもちょっとした想像力があればわかりそうなものですが、やはり想像力が欠如しているのでしょう。

欠如していれば欠如している分だけリスクは高まります。

もちろんそんなリスクばかり意識していると何もできなくなってしまいますが、ある程度のリスク管理は必要になるような気がします。

という面を含めて、マッチングアプリ等々「出会い」に関するサービスなどよく利用できるなぁ、ということを思ったりします。

Category:miscellaneous notes 雑記

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