ただ心配なのは音色である

聞こえる音の範囲というものは人によって異なっているようで、本当に周波数レベルで高音域が聞こえていないということもありつつ、「目には映るが見えていない」のと同様に、注意が向いていないためにその音が鳴っている事自体に気付いていないという場合もあります。

年齢とともに高音域が聞こえにくくなるということはよく聞きますが、高音域が聞こえにくくなるということは、倍音の関係で音色自体もちょっと異なって聞こえているのではないかと思ったりします。また逆に年齢が若すぎるとまだ聴覚が発達しきっておらず、聞こえにくい音域があるという感じでもあるので、同様に音色的にも多少なり異なって聞こえているのではないかと思います。

また、楽曲を聞いていても「ベースの音がどういったメロディを奏でているかということを気にしていない」という場合もよくあるようで、関心がない音に関しては、大体の雰囲気は掴みつつも「耳に入っても聞こえていない」という感じになるのでしょう。

そんな感じで、奇声に関しても、それを発している当の本人やその家族などは、あまり聞こえていないのかもしれませんし、聞こえ方も異なるのかもしれません。

可聴音域と全体構造

今では多少聞こえる範囲が狭まっていると思いますが、20代の頃にテストした際に下は13Hz、上は23kHzまでは聞こえていました。一応人間の聞こえる範囲は下は20Hz、上は20kHzというふうに説明されていますが、結構個人差は大きいようで、年齢とともに聞こえる範囲は狭まっていくようです。むしろ聞こえる範囲が狭いほうが煩いも少ないのではないかと思います。(なお、家庭用のスピーカーは20Hz~20kHzとか60Hz~20kHzまでしか音が出ないのでテストツールがあってもその範囲になります)

また、部活レベルで、かつ、神経が持たないのでその後辞退しましたが、一応部活動で指揮を担当していたので、メトロノームとの格闘、フルスコアとの格闘ということを何年も続けていました。

そんなこんなで、ピッチのズレ、それに伴う和音の不和、テンポの狂いなどには人一倍敏感という感じになっています。音符的には合っていても音色的なダメ出しをしなくてはならないという立場にあったので、音の太さというか音色にも敏感です。

それが後に「話す人の声の微妙な変化を捉える」ということにつながったりしましたが、そうした面とは別に高音域に対する神経過敏が増しました。

音色や和音を含め全体構造が見えるので、汚い音は本当に汚く見えますし、体感覚としても気持ちが悪いというのが本当のところです。奇声など皮膚の中を虫が這っていくか、注射針が血管を通るような感覚を覚えます。

でも音の刺激、特に入ってくる音の種類の多さや高さなどが問題かといえばそうでもなく、森の中など自然の中で発せられる音は全く問題にはならないどころか落ち着きさえ生まれます。

鳥の鳴き声も音としては高いですが、美しく感じます。

倍音のない人工的な音や機械の騒音などは、不自然という意味で身体的に不快であり、奇声に関してはその奥にある意識の状態が音を通じて反映されているという感じで、快楽的邪念を感じてしまうということになるのでしょう。

ある程度以上の定で煩いを流すことはできますが、そうなると社会生活の方はままなりません。なるべく根本から遮断するのが一番です。

Category:笑う月

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