カテゴリー別アーカイブ: 第四書

曙光(ニーチェ) 第四書

危険な美徳

「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393 危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。 まあ少しショックでした。 まずは参照記事のご紹介から行きましょう。 動物保護団体の崩壊 〜ネグレクトになった保護団体〜 動物愛護団体だったりとかは結局、ボランティアとか募金とかで運営してることがほとんどですが、そうい

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礼儀の条件

慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように、丁寧過ぎる対応で逆に相手に対する皮肉を込めているようになってしまうというパターンもあります。 礼儀を重んじろというのはミスター脳筋こと孔子が統制のために説いた道徳です。礼儀を重んじるということをもって上下関係を保とうということです。そういう礼儀は無視しても大丈夫です。 ということで、礼儀に関して書いていきます。 礼儀が人の意識レベルを下げる 大企業どころかある程度の規模の会社などでは営業担当として配属された時にたいていマナー研修のようなものがあります。 第一印象で嫌

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悪の瞬間

活潑な性格の人々が嘘をつくのは、ほんの一瞬のことでしかない。そのあと彼らは自分で自分を偽ってしまい、確信をもち、正しい。 曙光 390 嘘をつくのはもちろんですが、嘘をつかれる瞬間というのもなかなか嫌なものです。 その嘘の内容にもよりますが、だいたいは自分都合のスケベ心か身の保身くらいなもので、方便のような気づきのための嘘や「相手を混乱させないための嘘」というタイプのものではない嘘は許してはいけません。 嘘がどんな感じに嫌かというと、「なめている」という面がもっとも嫌なポイントではないでしょうか? 結構前ですが、プ

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才気を隠す

だれかがその才気をわれわれに隠す現場を取り押えると、われわれは彼は人が悪いという。しかもお愛想と博愛のために彼はそうせざるをえなかったのだ、とわれわれが邪推すると、なおさら一層そういう。 曙光 390 「能ある鷹は爪を隠す」と、散々言ってくる仕事のできないおじさんがいました。 「一体あなたのどの面が『能』なのかね?」と言いたくなるほどです。 京都人的な発想ですが、「能のある鷹は自分からそんなことを言わない」とでも言いたくなります。 まあ一種のルサンチマン的な発想で、仕事の業績だけではない部分で自分には能力がある、と

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すこし重すぎる

とても正直ではあるが、愛想がよいとか愛すべき人物であるとかいうにはすこし重すぎる人々は、お愛想をいわれるとたちどころに、まじめに世話をやいたり自分の能力を提供したりして、これにこたえようとする。 曙光 389 前半 世の中には「甘え上手」というタイプの人がいます。 相手にしてはいけません。 なぜならその人達は甘えるのが上手いため、世話をしたとしても、そのお世話に対しては何も思わないからです。 ほとんど当然のことのように思っており、むしろ一度世話をすると、その次に世話を断ったときには拗ねるか、怒り出すか、関心をなくし

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良心の疚しさのない悪事

良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。 「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」 と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。 いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。 人を騙そうと思ったら、内輪から騙していかねばならない、ということなのでしょうか、詐欺的商品を「仕事ですから」と何の疑いもなく売っている人たちがいます。 当の本人もわけがわからないまま、売っているようなケースです。でも

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結婚前の熟慮の見本

もし彼女が私を愛するとすれば、長く続けば彼女は私にとってどんなに重荷となることであろう!またもし彼女が私を愛さないとすれば、長く続けば彼女はそのときようやく私にとってどんなに重荷となることであろう!二つの違った種類の重荷が問題であるにすぎない。― それゆえわれわれは結婚しよう! 曙光 387 モテないが正しい、ということをいつも言っていますが、あまり理解されないような事柄ですので、もう少し深く書いてみようと思います。 男女ともに、本当にモテないが正しいということを悟った時、どうなるのでしょうか? 男女ともに、モテを

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悲壮な人々と素朴な人々

胸をたたいて悔み、自分自身を悲惨で卑小だと感じる観客のことを考えるあの楽しみのために、悲壮さを示しうる機会をひとつも見のがさないことは、極めて高貴でない習慣であるかもしれない。したがって、悲壮な状態を嘲笑したり、その状態のとき自分にふさわしくない振舞をしたりすることは、高貴な心のしるしであるかもしれない。フランスの古い軍人貴族は、この種の高貴と洗練を身につけていた。 曙光 386 悲惨な状況の時、どういった振る舞いをしているでしょうか? 「悲惨だー大変だー」というのが普通です。でも普通が正しいとは限りません。 僕の

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うぬぼれの強い人々

われわれは陳列店のようなものである。われわれはそこで、他人が与えてくれるわれわれの特質なものを、自分でいつも整頓したり、覆い隠したり、光に当てたりする。ー 自分を欺くためである。 曙光 385 男女ともにうぬぼれの強い人はいつの時代でもたくさんいます。「うぬぼれがかっこ悪い」ということが問題ではなく、うぬぼれの根底は恐怖心であるというようなことが問題です。 うぬぼれは、他人に対して主張しているとか、意識の中で作り上げた架空の他人を説得しているような構造になっており、根底に恐怖心や分離という感覚がない限りそうしたもの

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奇人

その最上の作品や感動をくだらないと見なし、それを打ち明けたり述べたりすることの下手な小心な人々がいる。しかし一種の復讐心から、彼らは他人の同情をもくだらないと見なす。あるいはまったく同情を信じない。彼らは、自分自身のことに心を奪われたように見えることを恥じ、物笑いの種になることに反抗的な快感を抱く。ー これは憂鬱な芸術家の魂の状態である。 曙光 384 奇人、ということで、今回はなんとなくH ZETT M氏が浮かんだので、H ZETT M氏について書いていきます。 またH ZETTRIOなんかを始められているので、

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同情のお芝居

たとえわれわれがどのように不幸な人に関心を寄せようとも、われわれは彼の面前でいつも何かお芝居を演じている。われわれは重病人の寝台のそばにいるいしゃのあの慎重さを抱いて、われわれが考える多くのことや考えたとおりの多くのことを語らない。 曙光 383 世の中には本音を語る人は少なく、特に京都では本音を語る人は極端に少ない傾向にあります。 本当のことを言ったところで仕方ないというのが「本音」ですが、一応僕は、社会の中でもほとんど本音で生きています。 一方、「ほとんど」というのはいかなるものか、ということで、例外ケースがあ

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園芸家と庭園

日本のわびさびはなんですか?と外国人に聞かれたら、 「庭園の朝顔が満開だということで、それを見たいという人がいた場合、朝顔を全て刈り取り、居間の一輪挿しにだけ朝顔を残しておくこと」とでも説明しましょう。 千利休と秀吉の逸話ですね。 さて、園芸家と庭園です。 そんなに育てることが難しくないとされている植物でもすぐに枯らしてしまう人がいるそうです。 変な占い師なら「邪気の影響だ」とかすぐにそういうことを言うでしょう。 まあそういう意見は放っておいて、案外忘れられがちな大切な要素について書いていきます。 植物にとって土と

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彼の「個々の物」を知る

はじめてわれわれを見る知らない人の眼には、われわれが自分自身そうであると考えているものとは全く違って見えることを、われわれはあまりにも忘れやすい。印象を決めるのは大ていは目につく個々の物以上の何物でもない。 曙光 381 前半 以前、「優美さがない」の「パーカーとスーツ」で少し書いたことがありますが、見た目で判断する人は実に多いような気がします。 見た目で判断されるからこそ、高級車や高級腕時計なんかで対人関係のアドバンテージを稼ごうとするのでしょう。 世間はそんな感じですが、僕は最近営業マンと会ったときなど、Tシャ

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確かな助言

慰めを必要とする人々にとって、あらゆる慰めの手段の中で、君たちの場合には慰めになるものは何もないという主張ほど快いものはない。ここには、彼らが再び頭をもたげるような栄養がある。 曙光 380 正確な助言ではなく、慰めや協調のほうが重視されることがよくあります。 基本的には、真っ当な意見よりも相手が落ち着くような意見の方が重要視され、真っ当な意見を言った人も「そんなんだったら聞くな」とか「もう二度と助言などしてやるものか」という気分になります。 これは感情のフィールドと思考のフィールドを混在させているから起こる現象で

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ありそうでもあり、ありそうでもない

ある女性が密かにある男性を愛し、彼を自分よりも高いところに祭り上げ、全く内密に百度も自分にこう言った。「あんな方が私を愛して下さるとしたら、それは恩寵のようなものであり、私は恩寵にひれ伏さなければならないでしょう!」― 男性の方でも全く同じことが、しかも余人ならぬこの女性に関して起こった。そこで彼は全く内密に、やはりほかならぬこの考えを自分に言いきかせた。 曙光 379 前半 曙光のこの項目では、その後両者がその思いを相手に伝えてしまうという感じで続きます。 まあ曙光の項目について書いてもいいのですが、あえて、「恩

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きれいな手ときれいな壁

神も悪魔も壁に描いてはならない。そうすれば壁や近所を台無しにすることになる 曙光 378 注釈によると「悪魔を壁に描いてはならない、すなわち『縁起の悪いことはいうものでない』という格言がある」ということのようです。誰の格言であるかは明記されていません。 さて、きれいな手ときれいな壁です。 きれいな手 目は口ほどに物を言う、というような言葉がありますが、個人的には、手を見るだけでその人の人となりが何となくわかります。 性格が雑そうな人はそんな感じの手をしていますし、頼りない人もそんな感じの手をしています。 顔の皺なん

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空想的な理想は何を推測させるか

われわれに欠点がある場合われわれの熱狂は生まれる。 曙光 377 序 特に○○観戦というものに熱狂する場合、それは宗教の礼拝のような構造に近いものがあります。 単純に何かと同化して現実以外の所に意識が持って行かれているのですから宗教にハマった人とそうたいして変わりません。 さて、ニーチェお得意のアンチ宗教的なタイトルなので、そんな感じで書いていきます。 宗教団体 争い事を避けるために世の宗教について「どれが良いとか悪いとかはいいませんけれども」という前フリが多いですが、僕から言わせると、何かと同化して縋りタカるもの

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多く眠る

くたびれて自分自身がいやになったとき、自分を元気づけるためにはどうしたらよいか?ある人は賭博場、他の人はキリスト教、第三の人は電気療法をすすめる。わが親愛なる憂鬱病者よ、一番よいことはやはり、実際的にも比喩的にも多く眠ることである!そうすればまた自分の朝をもう一度もつだろう!生活の知恵の芸当は、あらゆる種類の眠りをちょうどよいときにさしこむことができることである。 曙光 376 「ちゃんと眠れればいいんですけどね」とニーチェにいいたくなるような人も多いはずです。眠れない夜を過ごすことが多い人は特にそんなことを思うで

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あまりにはっきりと物をいう

完全で軽快な文体は、完全な聴き手に対してのみ許される。曙光 375 末文 僕は特に「尊敬する人」がいないのですが、「すごいなぁ」と思う人はたくさんいます。 そのうちの一人は、塩田剛三さんです。またもや故人ですね。おそらく一般に認知されている人の中では、人類史上最強の武道の達人ではないでしょうか。 塩田剛三氏 女性、特に女の子には知っておいてほしいのですが、力で男に勝てなくても問題ありません。その相手の力を利用することで、相手を返り討ちにすることもできるからです。 塩田さんは、合気道の極みは「自分を殺しに来た相手と友

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犠牲の価値

国家と君主から個人を犠牲にする権利(司法や従軍などの場合のように)を剥奪すればするだけ、一層自己犠牲の価値が高まるだろう。 曙光 374 まあこれはパラドクスのようなもので、自由を欲しながら、自由にストレスを感じるということがよくあるという感じでしょう。 忙しいと休暇が欲しくなるというのが普通だと思いますが、お金が無限にあったとしても、永久に休暇ばかりだと、気が狂れてしまうという感じに近いです。 自由になりたいと思いながら、どこか奴隷気質で、どこか「世話をされたい」をいうフシを持っています。 奴隷気質 実は世の中の

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秘密をもらす非難

「彼は人間を知らない。」― これはある人の口にかかると、「彼は世俗的なことを知らない」ということを意味する。他の人の口にかかると、「彼は異常なことを知らず、世俗的なことをよく知りすぎている」ということを意味する。 曙光 373 曙光を持って帰ってきましたので、曙光シリーズ再開です。 以前は 「本当のことを言ったほうが良いのかどうか?」 ということに迷う瞬間がありました。 なぜなら、場合によっては、本当のことを言うといわゆる「夢を潰す」ということになりますし、本当のことを言わないというのは、「間接的な嘘をつく」という

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専門家の名誉のために

ある人が、専門家でもないのに審判員の役割を演じるや否や、それが男性であれ、女性であれ、われわれは直ちに抗議すべきである。ある事物やある人間に対する熱中と有頂天は何ら論拠にもならない。嫌悪や憎悪よりもやはり論拠にならない。 曙光 372 「褒め教育」や「愛され何とか」みたいなものについて書こうと思いつつ、曙光のページをめくるとちょうどぴったり良い項目になっていました。 さて、「ほめる」や「威厳と恐怖心」などなど、今まで「褒め」については幾度となく書いてきましたが、基本的な内容は同じものの、なぜ「褒めない教育」の方が良

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強さの悪

情熱の、例えば怒りの結果としての暴行は、生理学的にいって、窒息の発作の恐れを予防する試みとして理解される。他の人々に己れををされけだす無数の傲慢な行為は、強い筋肉運動による突発的な充血の放水路であった。もしかすると「強さの悪」の全体はこの視点に該当するかもしれない。 曙光 371 前半 個人的には元々怒りタイプなので、特に欲はないのですが、何事も心の安穏の条件は少ないに越したことはありません。 怒りも、目の前の状況が不快だからそれを改善したいという欲として考えることができるのですが、こうした怒りにも幾つかのタイプが

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思想家はどこまでおのれの敵を愛するか

君の思想と反対に考えることのできるものを決して抑制するな。口外せずにおくな!自分にそれを誓え!それは思想の第一の誠実に属している。 曙光 370 前半 かなりご無沙汰しております。bossuです。 何だかんだで投稿自体は1ヶ月以上ぶりですね。 やはり世間と接していると、俗世間の垢のようなものがついてきます。 久しぶりにアナリティクスを見ていたら、更新をしなかったにも関わらず、リピートユーザーさんの数とPV数、そして滞在時間の長さに驚き、「そろそろ書き出そう」と思ってしまいました。 以前からその傾向はあるものの、人に

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自分のみじめさをこえて高まること

自分たちの威厳と重要さの感情を作り出すため、怒鳴りつけたり暴力を加えたりすることができるような他の人たちを― つまり、無力で卑怯なため、その面前である人が崇高な挙動や憤慨した挙動を示しても罰せられず―、差支えがないような者たち!― いつもまず必要とするのは、自負心の強い奴らであると私には思われる。― それゆえ彼らは、ちょっとの間、自分自身のみじめさをこえて高まるために、その環境がみじめであることが必要である! 曙光 369 前半 みじめであることの感情も、その場での自我の反応にしか過ぎません。 そして、嫌だと思った

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