カテゴリー別アーカイブ: 第五書

曙光(ニーチェ) 第五書 曙光(ニーチェ)全記事一覧

重くなる

諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言われることがあるのでしょう。 さて、重くなる、重たくなるということで、体重の増加について触れていきましょう。炭水化物やカロリーオフ、ぶどう糖について触れていきます。 体重の増加と炭水化

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ただひとつの道

「弁証法は、神的な存在と現象の面紗(ヴェール)の背後とに到達するためのただひとつの道である」― プラトンはこのことを、ショーペンハウアーが弁証法の反対を主張するのと同じように荘厳に、情熱をこめて主張する。― だが、二人とも間違っている。なぜなら彼らがそれに至るひとつの道をわれわれに示そうとしているものは、全く存在しないのであるから。 曙光 474 前半 「道」という字を見た時に真っ先に松下幸之助氏を思い出しました。ついでに言うと「夢」と言えばホンダドリームです。 「結局リバイバルですね」 ということですが、「道」も

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人はどこにその家を建てるべきか

現在、賃貸物件を探しながらもなかなか決まらず不動産屋さん泣かせの日々を送っています。家を買ってもいいのですが、別に買う気も特にありません。 お金をすぐに借りてしまう人の習性として、ある程度の所得があると見込んだ場合すぐに不動産を購入しようとしますが、買った瞬間に買った価格では到底売れないようなものです。 すぐに賃貸の家賃と比較して、家賃を払うくらいならローンを払うという考えに飛びつきますが、不動産の購入はハイリスクとまではいかなくてもそこそこのリスクです。 単身赴任 今ではどうかわかりませんが、家を買ってしばらくす

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弁明しない

甲 しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? ―乙。この点でも、百の事柄でも僕は弁明できる。しかし僕は弁明の中にひそむ満足を軽蔑する。というのは、これらの事柄は僕にとってあまり大したことではないからだ。 曙光 472 前半 ニーチェ しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? bossu それでは軽く類型ごとに示してみよう。 パターン① 相手がこちらの話をしっかり聞いていない。 パターン② 相手は感情的に反発心を持っている。 パターン③ 質問の前提が根拠なしの固定観念。 いずれにしても、相手に「認めてもらう必要」がない。

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別の隣人愛

激し易く、騒がしく、むら気で、神経質な人は、大きな情熱の反対である。 曙光 471 序 「隣人愛」といえば、新約聖書を読んだことのない人でも知っているような「あなたの隣にいる人を愛しなさい」というものですね。 隣人を愛する前に愛を思い出しなさい しかし相手の要求には応えても応えなくても構いません。 愛することと、何かの要求に応えることは別物です。 そして「愛とは何なのか」という点も曖昧です。 「隣人愛」と愛の定義 新約聖書における隣人愛の解釈で一般的なものは、「神の愛を感じ、神を愛し、神を愛するように自分を愛し、自

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大勢の饗宴で

社長同士の集まりというのは、従業員時代には想像もつかないほどたくさんあります。商工会・商工会議所のような団体の集まりもありますし、その他単発のビジネス交流会のようなものもあります。 年末年始の忘年会・新年会などはすごい数のお誘いを受けますし、普段でも何だかんだで宴会・懇親会のようなものがたくさんあります。おそらくその気になれば毎日何かに参加できるのではないかというほどです。毎日数件ずつまわることすらできるほどです。 しかし、もう酒の席はほとんど断っています。 やはりシラフで話込めない人とは、どうせ深い関係にはなれな

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賢者の非人間性

すべてのものを粉砕する賢者の重い足どり― 仏教の歌によると、「犀のように孤独に歩む」― には、時々和解的で穏やかな人間性が必要である。しかもあのいっそうすみやかな足どりや、才気あるあの愛想のよい社交的な言い回し方ばかりでなく、機智や一種の自己嘲笑ばかりでなく、矛盾さえも、世に行われている不合理へと臨機に復帰することさえも必要である。宿命のように転がって進む地均らし機(ローラー)に類似しないためには、道を説こうとする賢者は、自分を繕うために自分の欠陥を使用しなければならない。彼は「私を軽蔑せよ!」ということによって―

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美の国は一層大きい

「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題です。 そのようなわけで「美しい国日本」という感じが好きな人達について書いていきましょう。 日本と同化する必要はない さて、日本人だからといって、日本とイコールではありません。ただ日本に

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二度の忍耐

「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割に何もしないという人がいます。もちろん「かわいそうだなぁ」とか「大変そうだなぁ」などと同情したからといって、何かをする義務はありません。 しかし、ある動機から「同情」はするのに、解決策

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名声の中の損失

未知の者として人間に語っても差支えがないということは、何という利点であろう!神々はわれわれから匿名を取り去って、われわれを有名にする場合、「われわれの徳の半分」を取り去るのである。 曙光 466 名声を欲する人、有名になりたいという人はいつの時代でもいますが、名声を獲得すること、有名になることの何がいいのでしょうか。むしろ匿名の方が重荷はありません。 下手に名声を獲得したりすると他人との関係性が強化され、ある種言動の自由が奪われかねません。 また、匿名でないと思いっきり発言できないということもよくあります。それは自

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ある出会いに際して

「出会いがない」ということをいう人がいますが、生きていればそんなことはありません。僕個人としては、できればあまり人と会いたくもないのに、毎年毎年出会いは増えるばかりです。 家に引きこもっている場合は、人と会いようもありませんが、インターネットがなかった時代ならまだしも、たいていゲーム上ででも誰かと会ったりはしているでしょう。 今では携帯電話の電話帳の中に、仕事関係と家族を除いては、10人も登録されていないほどに、人とのつながりなどそれほど必要がないということを実感しています。 仕事関係ですらも10人程度です。重要な

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贈る者の恥ずかしさ

「贈り物」というものは、本来贈る人の善意のような気持ちが形になるようなものです。 気持ちを形にして示してみる、というのが贈り物であり、その手前には、相手に対する気持ちというものが必要なはずです。 その思いが形になり、物を媒介して思いが伝わる、それが贈り物のもつ本質的な意味であると言えるでしょう。 「贈る者の恥ずかしさ」ということで恥ずかしくなってしまう贈り物の代表例である「贈り物という名の自爆営業」についてでも触れていきましょう。 贈り物という名の自爆営業 それを「贈り物を買え」という脅迫のもと、大企業などでは従業

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第七日に

「諸君はあれを私の創造として賞賛するのか?私は自分の重荷になるものを片づけたにすぎない!」 曙光 463 序 「第七日に」 「うーん…どうしよう…」という久しぶりの混乱がやって来ました。現在お腹が弱っていることも原因かもしれません。お腹が弱っているのでエネルギーを吸収できず、慢性的にフラフラだったりします。 銭湯の電気風呂に浸かりながら、「湯船から上がってトイレに行くべきか、それとももう少し浸かって腹を温めるべきか」という葛藤というものをつい先ほどしてきたばかりです。 そういうわけで、「お腹」+「第7日」ということ

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緩慢な療養

疲れというものは結構軽視されています。どうせ療養するなら思いっきり療養した方がいいのは明確ですが、ただ休んでいてもなかなか疲れは取れるものではありません。 以前勤め人だった頃に、年配の上司に「ビタミン剤は歳がいくと効果を実感するぞ」と教えてもらったことがあります。しかしビタミンでは追いつかないことがあります。 今現在も気力はあるのですが、どうも神経が修復しきっていない感じがしています。 日々は一日万機。最も多忙だった時は、本当に全身が痙攣したことがあります。座っただけで全身がガクガクするというものです。 そうだ自然

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ここはロードス島だ、ここで踊れ

われわれの音楽、それは海の魔物のようにそれ自体としては性格を持たないために、あらゆるものに変化することができ、また変化せざるをえない。 曙光 461 序 「ここはロードス島だ、ここで踊れ」 と、いきなり言われても、ロードス島がどこにあるのかわかりません(調べてみるとギリシャの南エーゲ地方にあるそうで、ナトリア半島沿岸部のドデカネス諸島のひとつのようです)。 さて、音楽については、先日少し触れたので、今回は「踊れ」について触れていきましょう。 「踊る姿を見ても…」的な感じで進めていきましょう。 踊る姿を見せられても

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その危険な時を利用する

切羽詰まっている時の感情は不快ですが、切羽詰まりすぎると不快であることすら感じることができずに、逆に理性的になるものです。 よくほろ酔いだと気分が乗って、普段では受け入れない要求を受けたりするということがありますが、泥酔すると逆に理性的になり、体が楽になること以外のことを考えなくなるのと構図はあまり変わりません。 精神的に危険なときはチャンスです。 それもかなりのチャンスです。 生ぬるいほどの危険だと、いつまでもそこに安住しようとしてしまいますが、相当の危険な状態だと、「天才ではないか」と思えるほど理性的な頭で考え

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思想家の寛容

ルソーとショーペンハウアーは― 二人ともその存在に人生を真理にあわせるという標語を記入するほど誇りが高かった。そしてまた二人とも― 真理を人生にあわせる― 彼らのいずれもが理解していたような真理を― ことが成功しようとしなかった点で、また彼らの人生は、旋律に一致しようとしない気まぐれな低音部のように、彼らの認識とならんで走った点で、どんなに彼らの誇りに苦しんだことであろう! 曙光 459 前半 「何でもわかりやすく」という流れがやってくると、「そうだカテゴリ分けをしよう」という発想がすぐにやって来ます。 その際は先

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一番籤(くじ)

これは非常に珍しいことであり、しかも人を有頂天にするものである。つまり立派に形成された知性を備え、そのような知性に属する正確も、好みも、体験でさえも持っている人間のことである。 曙光 458 最近やたらにコンビニで「700円買ってくじにチャレンジ」が多いですね。一番籤(くじ)ということでクジ引きについてです。 コンビニのクジ引きにおいては、繁忙時間の混雑を避けるために、当たりばっかり入っているくじボックスを用意して、早急に当たりくじを消化するということが多いのか、たいてい当たります。先日は1400円ちょっと買って二

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最後の寡黙

少数の人々は宝物を掘り探す人のような目に遭う。彼らは他人の魂に隠されているものをたまたま発見し、それについて知識を持つ。これはしばしば耐えがたい!われわれは事情によっては、生きている人々や死んだ人々をある程度までよく知り、その内心を突き止めることができるが、彼らのことを他人に語るのは苦痛となる。われわれは言葉ごとに無分別になりはしないかと懸念する。― 最も賢明な歴史家でさえ突然無言になることが、私には想像できる。 曙光 457 事実傍から他人を観察すると、その人のことがよく見えるものです。 自分と同じ特性を持ってい

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成長しつつある徳

「徳が高い」「功徳がある」というようなことを言語情報として見聞きしても、何の説得力もありません。「あの人は徳が高いことで有名だ」というような情報ですね。それを第三者から聞かされた場合などです。 功徳といったようなものは、そういう一種のプロモーションをしても、実際に会ったりしてしまえば、その人からぷんぷん情報が出ていますから、取り繕うことはできません。 簡単にいえば、いくらライターが新曲の事をあれこれ感想や過去の楽曲との対比のような記事を書いても、その曲を実際に聞いた時にそのような言語情報など何の意味も成さなくなるの

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第一の天性

現在われわれの教育されている通りでは、われわれは最初に第二の天性を手に入れる。世間の人々がわれわれを成熟した、青年に達した、役に立つと呼ぶとき、われわれはそれを所持しているのである。若干の少数者たちは、それの被いの下でその第一の天性が成熟したまさにそのとき、いつかこの皮を投げ捨てるのに十分な蛇である。大ていの者にあっては第一の天性の芽は枯死する。 曙光 455 今回はタイトルが「第一の天性」にも関わらず、第二の天性についての内容になります。「天性の才能」と言われる時の天性ですが、これには「第一の天性」と「第二の天性

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傍白(わきぜりふ)

この本のような本は、読み通したり、読んできかせたりするためにあるのではなく、ひもとくためにある。特に散歩や旅行のときに。人は頭を突っ込んでは、いつでもまた引き出すことができ、月並みなもの何もあたりに見当たらないに違いない。 曙光 454 このブログのようなブログは、読み通したり、読んできかせたりするためにあるのではなく、ひもとくためにある。特に散歩や旅行のときに。 ということで、傍白(ぼうはく)、わきぜりふと銘打って、いつもとは少し違う趣旨でいきましょう。 何か散文のような、普通ならツイートするかのようなことを、時

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道徳の空位時代

いつか道徳的な感情や判断と交代するであろうものを、だれが現在早くも記述することができようか!― それらは土台のすべての点で設計に誤りがあり、その建築物は改修不可能なことをわれわれは確実に洞察しているとはいえ、ともかく理性の拘束力が減少しない限り、それらの拘束力は日増しに減少するに違いない! 曙光 453 前半 理性で判断すると、たいてい行き詰まりになります。思考が行き詰まった時に、その理屈に「根拠なし」ということが、わかった時点で、自由や解放の方向に向かうきっかけになればいいのですが、どうもまた堂々巡りが始まるくら

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短気

短気は気が短いということ、というわけで短気な人というのは「我慢ができない人」ということになるのでしょうか。我慢などしてはいけません。やりたいことはどんどんやりましょう。 しかしながら、我慢の手前には欲とか怒りがあるはずです。でもそれを表に出してはいけない、行動に移してはいけないと思う時に我慢が出てくるはずです。 短気というのは気が短いと言うだけで、短気でなくとも我慢があればいつかは限界に来て行動を起こしてしまう、ということになるはずです。 我慢と怒りの観察 ところで、何かの衝動が起こった時、どうして我慢をしてしまう

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道化師が必要な人

道化という字を見ると、やはり太宰治氏が思い浮かびますね。「人間失格」「道化の華」(青空文庫)などなど、道化ということについて自分塾を開きすぎたがゆえに入水自殺してしまいました。人間失格については以前に「恐れられる眼」で、少し触れましたね。 さて、無理をすると、どれほど凄まじいことになるか、ということについて書いていきましょう。道化師が必要な場合です。 笑ってやり過ごさなければならない時 人生には笑ってやり過ごさなければならない時がやって来ます。 どういうリアクションを取ればわからないものの、ひとまず笑ってやり過ごさ

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