若いうち

「若いうちはこうした方がいい」

「まだ若いんだから」

そんなことをいうのはどこかで体育会系、いや、儒教的な発想があるからです。

「年上の方が優れている」

そんなことは、統制のために悪用された妄想です。

僕は孔子をミスター脳筋くんと呼んでいます。

「体育会系」という言葉をよく使いますが、別にスポーツそのものや、スポーツ選手を嫌っているわけではありません。

あんなのは遊びですからね。好きでもないですが。

「目上の人を立てる」

「目上ってなんですか?」

ただそれだけです。

それは、儒教の思想ですが、おそらく本来は、「みんなそういう観念にとらわれているから、多少は合わせてあげなさい」とか「本当は違うけど、組織という中でうまくやっていくには相手の自我に反発してもやりにくいだけですよ」といったポイントなのかもしれません。

ヒエラルキー

縦社会というものがあります。本当はこんなものは撤廃すべきなのですが、経済効率を考えれば、有効なシステムであるから仮観の世界ではもてはやされます。

チーム戦、戦いの最中に個性を出されて、あっちに打ち、こっちに打ちされたのでは、勝てません。あくまで兵法の世界の話で「戦に勝ちたいなら使ったらいいんじゃないですか?」という程度です。

それを思想として、ほかの人に押し付けようとするからおかしくなるだけです。

ペコペコと横柄

結局そんな思想を持ってしまうと、「目上だ」となればペコペコし「目下だ」となれば横柄な態度をとってしまうかもしれません。

それは、苦しさしかもたらしません。

目の前の現象で一喜一憂しなくてはならなくなります。

かといって、誰にでもペコペコ、誰にでも横柄、というのも変な話です。

いっそ、そんな風に思ってしまう観念を手放してしまう方がいいでしょう。

体育会系だからといって

別に文化系がいいというわけはないのですが、体育会系で育ったことを憂う必要はありません。

周りの自我に合わせて、振り回されていただけです。

人によって態度を変えることは苦しいことである、ということに気づいたら、もう手放してしまえばいいのです。

それによって、いままで培ったものが消えることはありません。

なぜなら、そんなものは、「そもそもはない」のですから。


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