空アリ 改

空

空ナシ

ないということがない。じゃあ埋まっているのかというのは駐車場ではまかり通りますが、ないがないということは、必ずしも反対側の「ある」を示すものではありません。

「1+1=2」も、いちおう一番簡略化された表記をしなさいというルールのもとだから「1+1」=「2」になるだけで、それを外してしまえば「1+1=3-1」「1+1=(1+2+3+4)/5」でもよくなってしまいます。

実は勝手に前提を作ってしまっている、そのことにはなかなか気づきにくいような気がします。

「好き?」と聞かれて

「うーん」

などと答えれば、

「じゃあ嫌いってことなのね!」

などとされてしまう日には始末が悪いですね。

気持ちは複雑に入り組んでいるので、なかなかストレートには捉えにくかったりします。

でも、行動となると、「この会社に入りたいですか?」などと聞かれた時に、「うーん、68%くらいなので、68%くらい働かせてください」と言っても通じません。

そんな時には一応100%かのような素振りは必要になります。

それでも、「68%くらいだな」とある意味でわかってくれればいいですが、「お前が決めたんだろ?」と脅してくる人もいるのでなかなかやりにくいですね。

一方で役者の人は自分の中に1%でもその演ずる役の人格っぽいものがあれば、それを限りなく100%近く引き出すそうです。

「素の自分でいたい」

これは自分探しをする人たちにありがちですが、一度ビジネスマンにでもなりきってみればどうでしょうか。

おそらくすぐにはできないでしょう。

本来的な「素の自分」でいれたなら、いままで会ったたくさんのビジネスマンのモデルが出来上がっているはずです。

しかし、なぜか「商業主義的なビジネスマンは嫌い」が先行して、偏見で見ていると、ドラマの中の悪役ビジネスマンくらいしか頭に浮かんできません。

そんな悪役を演ずることも「自分だまし」をしているようで、いてもたってもいられないでしょう。

空っぽ

モノはあればあるほどいい。楽しみはあればあるほどいい。

何度か触れましたが、それは仮観の世界です。

しかし、仮観の世界にあっても、なくしていくほうが実は楽になります。

部屋にたくさんのものがあるより、少しだけあるくらいの方がすっきりします。

趣味もたくさんあるほうがいいような気がしますが、ないくらいでちょうどいいのではないでしょうか。

増やして行く方ばかり目を向けられ、無くしていく方にはほとんど焦点は合わされません。

その理由は簡単です。

世に溢れる雑誌やメディアなどは広告屋だからです。

実際の雑誌の売上などよりも、広告収入が主な収入源です。

買い替えさせようという目的での「廃棄のススメ」はしても、「捨てて、もう買わない」ということはあまり語られません。

「空っぽはいけない」という脅しをして、モノ買わせたり、習い事をさせようとします。

しかし、あの業界は広告屋です。

「どうして広告屋の戯言に人生を左右されなければならないのか?」

今一度再考してみてもいいかもしれません。

過去記事⇒空アリ


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