弁明しない

甲 しかしなぜ君は弁明しようとしないのか?

―乙。この点でも、百の事柄でも僕は弁明できる。しかし僕は弁明の中にひそむ満足を軽蔑する。というのは、これらの事柄は僕にとってあまり大したことではないからだ。 曙光 472 前半

ニーチェ しかしなぜ君は弁明しようとしないのか?

bossu それでは軽く類型ごとに示してみよう。

  1. パターン① 相手がこちらの話をしっかり聞いていない。
  2. パターン② 相手は感情的に反発心を持っている。
  3. パターン③ 質問の前提が根拠なしの固定観念。

いずれにしても、相手に「認めてもらう必要」がない。

裏にある権利を放棄すれば責任も消える

つい先日、「最もよい約束の仕方」で「返事をしなければならない義務はない」ということについて触れました

あれおもしろいですよね。

テレビは全然見ないのですが、記者なんかが罵声を浴びせて質問とかしてますが、「答える義務」というものはないどころか、裏にある権利を放棄さえすれば、どこにも責任というものは存在しないということがおもしろいですね。

つまり仮言命法的ということになります。

「相手の納得承認を得たいならば」とか「現在の社会的な権限を保持したいならば」とか、そういった条件が付いている事柄です。

風評とかも色々と昔から勝手に出てくるものです。

たいていというかほとんどですが、発端も含めてルサンチマンであり、感情的な処理方法のような事柄です。発端は僻み根性であったり怨恨感情であったりしますが、その奥には、自尊心の欠落があります。そしてその上で特定の基準を元に相手を攻撃したり、解釈変更を行うことで、自尊心を回復させようとしているのという感じになります。

被害相談

自分に直接関係のあることならば、訴訟でも起こせばいいですし、無いことならば騒いでも仕方ないと思っているのですが、どうも民主主義教育のおかげで「どんな意見でも貴重だ」ということになっていて、「ご意見ください」が当然の社会かのように思い込んでいる人がたくさんいます。

ついさっきヤフーを開いたら「スマイリーキクチさんの記事」がトップに出ていました。いかにネット上で針の筵になったとしても、まだまだ「なかなか重い腰を上げてくれない」という感じなのでしょう。まあ警察もアナログな人が多く、また感情的な事柄にはあまり相手しない事が多いので、「あるある的」に少し笑ってしまいました。

警察や労働基準監督署など「被害相談」を受けるようなところでは、例えば「彼氏にふられた」とか「上司に『使えない』と言われて悔しかった」という感情の矛先をなぜか刑法とかにあてはめようとする感情的な人の相手などやってられないのが実情です。

活字に沿う形で動く領域

名誉毀損罪という言葉だけ知っている人が多いですが、公衆の面前でもなし、経済的損失があるでもなし、一対一で何を言われようと、民事の世界になります。警察は刑罰、労働基準監督署は行政罰、でもそんな感情は民事の世界です。

既に結果として起こっていることを操作しようとしなくても、感情など記憶とその解釈だけの話ですから、人に相談などしなくても構いません。

名誉毀損であれ、労働基準法違反であれ、実際的に法律などを根拠として何かの機関を動かそうと思えば、相手の持つフィールドに合わせて話を進める必要があります。警察や行政機関は活字の世界で動いています。そうした人たちを動かすためには、活字の規定に沿う形が必要になります。

活字の世界と感情の世界を混同せずに、それぞれに応じたフィールドで事を進めることが賢明です。

活字の世界と感情の世界

弁明しない 曙光 472

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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