つけ加えられた合理性

事物はそれが人に観察された時に解釈が生まれ、人に観察されるにつれて、「法則性」が発見され、他人に指し示しうるものとして扱われ始めます。

今その場で起こる現象の解釈が、もし誰かから教わった「法則性」というものの影響を受けないのならば、その場で起こる感情は、純粋なものになります。

一見合理的な行動も、それによって得れうる結果についての合理性が正しくても、その結果を欲し、「行動すること自体」は合理的なのでしょうか。もしかしたら「他人につけ加えられた合理性」なのかもしれません。

「家族にもすすめられないものを他人様に売るな」という命題

たとえば、仕事はちゃんとするべきで、仕事によって得れるお金によって誰のお世話にもならずに暮らすことができる、というような場合でも、その仕事が人に嘘をつくような場合はどうなるのでしょうか。これは全ての営業さんの永遠の課題ですね。

ついでに言うと「家族にもすすめられないものを他人様に売るな」というような命題の場合はどうでしょうか。

自分でも使いたいと思えないものを人にすすめられるのか、自信を持って自分の家族にお金を出して買ってもらえるようなものを扱っているのか、というようなものです。

そうでないようなものを、他人様にすすめて売りつけようとするな、というようなものです。

この問題は、まず家族の資力にもよります。そして、家族自体に必要なものかは別問題で、これはナンセンスになります。

年齢や性別、その他様々な属性・条件等々で家族は対象とならない、という場合もあるはずです。男性ばかりの家庭で若い女性向け化粧品を売るほうがおかしいですから。

ということで、これは一方で、家族にもすすめられるくらいにしっかりしたものを作ったり売ったりしろ、と言う意味を含んでいますが、一方でよく自爆営業の説得文句になります。

自爆営業

このような手法は、自爆営業を推し進めようとするブラック企業やマルチネットワークにありがちな発言ですが、命題自体をどう取り扱うかによってかなり解釈は変わります。

概ねこうした「家族にもすすめられないものを他人様に売るな」というセリフは大企業において「カタログ通販」のようなものを「営業」してこいというようなことを迫り、営業成績が悪ければ査定で評価を落とすという脅迫をしながら、一品3000円位のものを自爆させて、年間数万円搾取しようとするブラック企業にありがちなセリフです。

「人にすすめる前に自分で『買って』試してみろ」と言う感じで「自分で欲しくもないものを人に売る気か?」とカツアゲする際によく使われます。

家族にもすすめられないような物を人様に売るのはどうかと思いますが、この一見美学にも見えるような命題を体育会系の発想で、自利のために用います。それは一種の冒瀆になりそうなことですね。

様々な悪影響

これは様々な悪影響を及ぼします。その悪影響は、最終的には全部自分への悪影響となります。「家族にもすすめられないものを他人様に売るな」という言葉の後押しがないと行動できないのであれば、その行動は取る必要がありません。

自分が弱いわけではなく、自分の感情という指針が合図をしてくれているだけです。他人に強制されてやる全ての行動は、完全に間違いです。それは既に湧き上がった感情を合理性でねじ曲げようとする行為です。

くれぐれも慎まなければならない事の一つになります。

つけ加えられた合理性 曙光 1


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