いつも幸福そうに見える

「幸福」

なんだか変な気分になる単語ですね。

まあ某集団のせいでさらに変な感じのする単語になってしまいました。

さらにいうと「最高」を「最幸」という人のせいでさらに変な気分になるようになってしまいました。

さて「いつも幸福そうに見える」です。

以前何かの記事で書いたかもしれませんが、最高の状態とか言うのがあるとすると、その状態というものは普通維持されずに下降の一途をたどるはずです。

いつも幸福そうに見えるというよりも、いつも幸福なのはどんな状態でしょうか?

たいてい心というか感情は、良かったり悪かったりを繰り返しているはずです。

よく結婚式がピークだというような事が言われることがありますが、たしかにそんなものに価値を置いてしまえば、それがピークになってしまいます。

根本問題として、「何かが起こる」とか「何かの状態になる」とか、「何かが手に入る」という構造は、ピークと下降を避けることができません。

だいたい物事が起こると、プラス面とマイナス面がセットでやってきます。

好きな人と一緒になっても、愛別離苦からは逃れることができませんし、「その他の経験の可能性」が排除されたり、様々な所有欲などが起こったり、それが満たされない苦しみなどがセットでやってきます。

厳密に言えば自分のことではないようなことでも、その人の状態からの影響が意識の中で起こってしまうこともよくあります。

「私は幸せ」と「私には憂いがない」

「私には財産があるため、幸せです」

という宣言に対して、

「私には財産というものがないため、憂いがない」

と返したのは、ゴータマ兄さんです(ダニヤですね)。

だいたい、社会でみんなが羨むようなものは、プラス面だけが考えられて、マイナス面が取り上げられることがありません。

仕事が休みだということで嬉しくなる人は、「仕事がある」ということで、お金の心配がなかったり、社会的非難への恐怖心が消えたり、職場の仲間がいる、ということで喜びつつも、仕事それ自体には幸せを感じていないということになります。

そこで考えていただきたいのですが、仕事がなく、かつ、お金の心配も社会的非難への恐怖心も、孤立への焦燥も、全ての感情が綺麗さっぱりになったらどうでしょうか?

義務感もなく、心配もなく、実際の行動の強制もなく、という感じになったらそのほうがいいに決まっています。

どうしてもその路線で考えられることは少ないのが実情でしょう。

なぜなら、それはアイツがもっとも恐れるパターンだからです。

生存本能は、「恐怖心」が基本ですからね。

いつも幸福そうに見える 曙光 367


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