いい人願望

いい人とはどんな人か、善とは何かについて、大昔からいろんなことが語られてきました。

定言命法

定言命法というものがあります。「AならばBをせよ」という仮言命法に対して、無条件での行為をさします。

イマヌエルカントの三大批判書のうち、実践理性批判という本に出てくるものです。

「君の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

結構有名ですが、実は雰囲気だけで、あまり意味をなさない命題です。憲法前文みたいなものです。

「それ、時代関係なく万国共通?」と聞かれているようなものです。

あまり「いいこととは何か」を考えなくても、気持ちのスッキリする方を選べばいいのではないでしょうか。

でないと、「これはいいこと」を根拠になんでもやってしまいます。

宗教勧誘

今まで何度か宗教勧誘を受けたことがあります。

「哲学とかそういうことに関心があるなら。。。」という旨のものありますが(逆に論破して終わりましたが)、近い仲の人からされたこともあります。

本人たちは、「すごくいいもの」だからすすめたかったのでしょう。

で、僕のことを好きでいてくれたから、すすめてくれたのでしょう。

「好きな人には幸せになって欲しい」

そんな気持ちが宗教勧誘に化けてしまいました。

だからこそ、やりきれない気持ちにもなりました。

もちろん、論破して終わりました。

いい人願望

本題とはずれましたが、いい人願望です。

いい人に思われたいのは、人による評価を自分の心の安定、つまり安心の条件にしているからです。

悩みの相談を受けるのもいいですが、どうせなら常に明るくいることが何よりもの貢献になると思います。

共感してうじうじ一緒に悩んでも、その場は楽になるかもしれませんが、結局根本解決にはなりません。

いい人を目指してみても、どうせどこからともなく嫌み、厄介みが聞こえてきます。

本当はいい人に思われたくて頑張ってみたものの、いい人と思ってもらえない人がそんなことを言ってきます。

そんなことは気にせず、常に明るくいればいいだけです。

すごく簡単なことです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ