「お面倒」の起源

「お説教」とは、そもそもお釈迦様がお弟子たちに向かって説いた教えのことです。それが後年、おやじが酔いにまかせて部下たちに向かって垂れる面倒くさい話。すなわち「お面倒」に変わってしまいました。

基本的に人は「最近の人」、つまり「自分より年下の人」にダメ出しをします。

本当に日に日に劣化していっているものもあれば、もちろん進歩しているものもあります。

「最近の若いやつは」

このセリフは人類が言語を持った時から発せられていることでしょう。

決して非難しているわけではなく、もう時代についていけない自責の念なのかもしれません。

でも、もちろんついていく必要はありません。

おっさんに限らず、歳をとるとやたらに若く見られたり、若者の情報を知っていることに満足感を得たりします。

そして、それが叶わなくなった時、矛先を若者に向けます。

人の目を気にしながら、年を重ねるとそんなことになります。

アンチエイジング

巷ではアンチエイジングたるものが、賑わいをみせていたりします。

そういうのが好きな人同士では「私のほうが若くみえる!」と軋轢が生まれ、また、傍から見れば「別にそんなことにムキにならなくていいんじゃないですか?」と呆れられます。

北区に僕の大好きなアイリッシュパブがあります。

そこのマスターと奥さんは、本当にかっこいいです。

今の僕がどう頑張ったところで出せないシブさをみせてくれます。

別に歳をとったらとったで、それはそれでいいのではないでしょうか。

心にぐぐっときたおばあさん

勤め人だった頃に、お客さんで齢90歳にもなろうかという年の頃合いの方がいました。

先程までわいわい冗談交じりの会話をしていたにもかかわらず、
仕事を終えて、僕が帰ろうとすると土下座の姿勢で、
「どうぞお気をつけてお帰りくださいませ」と一礼されました。

一糸乱れぬ動きに、僕は心をとらわれてしまいました。

「これが作法の成す技か」と、驚いたものです。

化粧やエステなど、「金を叩いて作った見た目」だけでは取り繕うことのできない、女性の美しさを感じたものです。


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