閉ざされた傷の蓋

物事の表面上の出来事を追い、現実的対処をしているだけでは何度も繰り返されるような問題が起こることがあります。

解決したかのように見えて、構成する人や状況を変えて何度も起こる現象です。

やはりその奥には、巧妙に隠された原因があります。

コロナ感染以降ですが、一度地に落ちたような感じになりました。凡夫に戻るような感覚です。

ただそれには理由があります。いわばやり残していることを片付けようという意図です。やり残しているというよりも、「あっても構わないが、キレイにしておいた方が良かろう、そうするには一度凡夫に戻る必要がある」というような感覚です。

少し意味不明かもしれませんが、因果のあり方を変える、一種のセルフケアです。

記すことによる精神の矯正や現象の調整の意図もありながら、誰かの参考になるかもしれないということで、うつテーマとしてオープンに書いていきます。

巧妙に隠された原因

自分自身の自我の中にある「隠された原因」というものは、強引に、そして巧妙に隠されているため自分の目では発見しづらいという属性を持っています。

それすら理解しています。なので、自分の精神にブレーキを掛けさせないために、周りの人に手伝ってもらっています。

もはや伝説とされている催眠療法家に言わせると、「答えは既に知っている」ということになるようです。そう思います。自分でもその正しさ、自分でその答えを知っていることも認めています。

しかし「知っているにも関わらずそれを見せようとしない」ということになるということも知っています。

なので、荒技を使うことにしました。

自分が自分を救い出すというような構造になります。そのために全方位から総攻撃を仕掛けます。ただ、相手を滅ぼすためではありません。解放させるというだけです。

「慈悲により、個としての自我を解放する」というような変な構造です。

なので、客観視しています。

精神や身体の苦痛が生じることすらわかっています。

しかし、その苦痛は集中により解放するということになっています。感じるものの感じないというような状況で乗り切ります。

先日から稀に激痛が走ります。

これはエネルギーの解放です。医者には治せません。

曖昧なものですが、僕の自我は実は毎日、0.3%ずつ傷ついています。

周りの人のせいではありません。

閉ざされ蓋をされた精神の歪みが現象の歪みを形成し、傷を作っています。

客観的に見ると、周りの人のせいであると考えることもできます。

しかし、問題も、問題の原因もそこにはありません。

「問題やその原因が周りの人にある」と思わせるのが「巧妙に隠された」の意味するところの一つです。

その傷の痛みを無効化することはできます。

しかし、現象も傷も痛みも面倒なので一層することにします。

「そのためには、無効にできても無効にしてはいけない」ということで凡夫に戻ったということになります。なので一時的なものです。

あくまで感覚的なものですが、12個ある蓋のうち、10個は自力で解放済みです。

残りの2つくらいは、自分の目では見えないようになっています。

「ブラックジャックも自分の脳を手術することはできない」というような感じです。

なので、友人などに協力してもらっています。

繰り返される同様の問題

現象として繰り返される「同様の問題」はいくつかあります。

主たるものは次のとおりです。

「さして自分に原因があるわけではなさそうなのに、関係性が壊れてしまう」

「周りに自主性がなくなり、何故か非生産的な行動や浪費的な行動を取る」

それぞれの点について対応策自体はあります。特に問題が起こり、それらを気にしているというわけでもありません。

共にそういうものだと割り切り、関係性を切って、別のところで再スタートをすればいいと、普通は考えます。

しかし、再スタートしても、また同様の構造が生じてきます。

なので、それ自体が嫌だというものよりも、次への期待もなくなってくるという感じになります。

これらは、自分と関係のないところで生じやすいという感じになっています。しかし、自分の精神構造に原因があるという前提で解放することにしました。

原因となる構造自体はほぼ解明してきています。後少しです。

軽々しく触れていきましょう。

自分に原因があるわけではなさそうなのに関係性が壊れてしまう

「さして自分に原因があるわけではなさそうなのに、関係性が壊れてしまう」という点について、多少なりと具体例を示していきましょう。

自分の中では、人生で最大級にきつかったことなので、慎重に書こう思い、いつか触れますといいつつ全く書いてきませんでしたが、ここであえて軽々しく端的に記しておこうと思います。

18歳から23歳位までの間、つまりうつ、パニック障害期に、付き合っていた彼女が急にダメになった話です。

辛い期間中に支えてくれていた人であるので、ある程度元気になってきたこともあって最大限の愛でお返ししたいと思っていた矢先、僕の弟が彼女に言いがかりをつけ、それから彼女とは手をつなぐ以上のことはできなくなったというようなことがありました。

それでも8ヶ月位は続きましたが、日に日に相手は弱っていきました。胃潰瘍にもなったようです。

乗り越えたかったですが、相手を苦しめるだけでした。

僕の言動が原因であるのならば、反省の余地もあります。しかし、その前もその後も、彼女に言わせると「何の非もない」ということでした。早急にどこかに駆け落ちということも考えましたが、「そうしてまで、というのはなんだか違う」ということになりました。

僕が謝るのも違う、いっそ思い切って新天地でということも違う、ということです。確かに違います。

今まで通りに自然な形で日常が続けばと思いましたが、それはできませんでした。◯玉の衝動についても、他の子に手を出せば良いというわけでもないのです。

そんなことがありました。

そういう経験の一番最初、そこで傷ついた原因もわかっています。

中学二年の時に、同居していたおじいちゃんとおばあちゃんが出ていったことです。

一番の理由は、「いとこが生まれた」ということです。

ある程度高齢のおじさんが、再婚して子どもが生まれたというのはいいですが、自営業で面倒を見れないので、うちのおじいちゃんとおばあちゃんに週6で預けだしたということから、そこに気まずさが入り、気まずさに耐えかねて出ていったということになります。

僕は祖父母と過ごす時間が長くある意味、両親との関わりが薄いということになります。なので、構造で言えば親を取られたというくらいの気分だったのでしょう。

両親と祖父母という4人に分散していた愛着のうち、祖父母という2/4がなくなったということなので、感覚で言えば、おじさん夫妻が「親の不倫相手」、いとこが「不倫相手との子ども」それらに片方の親を取られた、というような感じです。もちろん違いますが、構造としてはそのような感じになっています。

しかし、責めるような構造でもないので、責めることはできません。

ということで、怒りや悲しみは蓋をされたままになっていました。

いくら致し方ないような構造だとしても、実質的に僕よりいとこを取ったわけです。

「僕は心底愛されているわけではなかった」ということになります。

おじさん一家に生活のあり方を考えるように説得することもできたはずですし、突っぱねることもできたはずです。いとこが我が家で預かられるようになった時ですら、おじさん夫妻からは、僕たち兄弟やうちの両親に挨拶すらありませんでした。

最初は、祖父母にあやされる赤ん坊のいとこを見て「自分もこのように愛されていたのだろう」と思いました。しかしそれは一過性のものではなく週6です。日に日に不快感が増していきました。

出ていく理由も説明せずに、ある日学校から帰ってくるとおじいちゃんとおばあちゃんは荷物ごといませんでした。

葛藤はあったのかもしれませんが、それが人間の本性だと思っている部分はあります。

中学二年生の自分にはなかなか耐え難いものがあったと思います。

もちろん当時赤ん坊だった「いとこ」には何の責任もありません。原因と言えば原因です。しかし責めることはできません。

当時、父とおじさんは仲が悪かったので、祖父母が出ていったことについても「ほっとけ」と言っていました。

でも僕個人は父との思い出、おじいちゃんと思い出の比率でいうと1:9か2:8くらいの開きがあります。ナイターを観るおじいちゃんの横でコロコロコミックを読むという毎日に加え、夏休みには一緒に工作したり将棋をしていましたからね。

なので、愛着の上では「お父さんが出ていった」というような感覚でした。「お父さんが8割くらい出ていった」というような感じでしょうか。

そのような感じで、自分自身で何を改めれば良いのかという部分すら見えず、勝手に関係性が切れてしまうというようなこと、幸せな日常が、自分に関係がないようなところで壊れてしまうこと、多少なり存在するような愛も、どうしようもないようなことで引き剥がされてしまうこと、幸せを感じていたら急に「仕方がないこと」でそれを取り上げられてしまうような気がすること、そしてそれに対する怒り悲しみ、憤りをぶつける先もなく、戦う相手もいないこと、そうした傷があります。

僕は弟を殴ればよかったのでしょうか?

彼女との関係性を壊した弟を殴ればよかったのでしょうか?

おじさんを殴ればよかったのでしょうか?

おじいちゃんやおばあちゃんとの関係を壊したおじさん夫妻を殴ればよかったのでしょうか?

それらも何か違う気がします。

自然な形で愛が存在していて欲しかったのです。

いまや「幸せを感じていたら急に『仕方がないこと』でそれを取り上げられてしまう」ということが起こっても「そうですか」で終わりです。それ自体に特に憂いはありません。

憂いがあるとすれば、「どうせ最後はそうなるのであれば、何もやらないでおこう」という気持ちになることです。

しゃがんで思い返していると、眼の前の世界が大きく、自分が小さく感じました。

周りに自主性がなくなり非生産的な行動や浪費的な行動を取る

次に「周りに自主性がなくなり、何故か非生産的な行動や浪費的な行動を取る」というところについて触れていきましょう。

これはバンド時代から続く現象であり、経営者である今も感じています。その一部は、「起業により得た絶望と現実」で触れています。

どこかで「人に任せられない」ということを思っています。

そして「人に任せるとロクな目に合わない」ということを確認させるような出来事が起こります。

本当は人を信頼して任せたいと思っています。部分的にはそうしています。人に任せたことのすべてがダメになっているわけでもありません。

また、なぜか周りの人は浪費行動を取ります。これは自分が消費にシビアなせいだと思っています。「僕自身が使う代わりに周りが使い出す」というようなことだと思います。

そうなると僕自身はより一層お金を使いません。そしてより一層物を廃棄します。

やはり根本には、高校生くらいに父が事業破綻し、裕福な家庭から、貧しい家庭になってしまったということが要因となっていると思います。そこで当時の頭で限界まで考えて、消費と浪費、投資などについて多少の目利きになったのでしょう。それがおそらく一般感覚と合いません。

祝い事は出し惜しみ無くですが、基本的には投資的性質を持つものしかスイスイ買うことはありません。

ちなみに100均やコンビニはあまり好きではありません。

人に任せるとロクなことにならない、ということ、そして自分が先頭に立つと周りに自主性がなくなり非生産的な行動や浪費的な行動を取るということについて、本質はもっと根深いところにありました。

これは友人がヒントをくれました。

キーワードは「頼られる存在」です。以前どこかで少し「責任」という呪縛について触れました。その延長ですが、より一層深いところにありました。

「頼られる存在」の形成

端的には、僕は「頼られる存在」として、弟は「ごねる存在」として、自己の存在意義を保とうとしたというようなことです。

僕の両親には愛が乏しく、無いことはないですが、それよりも先に自分を満たさねばやっていけないような形なのだろうという前提があります。

あくまで祖父母がいたからこそ、家族が成り立っていたということです。おそらく父性や母性の上で足りない部分があります。

その両親に関心を向けてもらう方法として、僕は「頼られる存在」になろうとし、弟は、「ごねまくる存在」になろうとしたということです。

なので、根本は幼少期の傷です。

なお、両親を責める気はありません。

頼られる存在になることで、自分の存在意義を保とうとする人格がどこかで形成されました。

いつまでもやってくる「周りに自主性がなくなり非生産的な行動や浪費的な行動を取る」というものは、それが原因です。

友人は「頼られる存在」であることが羨ましいと言っていました。しかし僕はそれを否定しました。

「何もいいことはない。車を運転したくなくても、『あなただけが運転免許を持っているから』と、車を運転することを強要されるようなものだ」

と。

根本的な無関心と自主性の強要

振り返ると、僕の両親は、僕や弟に対して全くの無関心というわけではないのですが、やはり根本的にはあまり関心がないということに気づきました。

自尊心の欠落を埋める方が先、楽しみが先、面倒を避けるのが先、という感じで「関心を向ける余裕がない」ということです。

全く関心がないということもないですが不足しています。

それほど大々的に関心を持って欲しいとも感情表現を欲しいとも思いません。しかし、肝心な部分を見ようとしないというか、見えないというか、といった感じです。

その部分に恨みはありません。しかし、必要以上に「違う、関心を持たれている」と思いこもうとすることも、美化することも避ける必要があります。そのままを見るということです。

また、おそらく母はその母に、つまり僕のおばあちゃんに自主性を求められていました。「自発的意志で取り組むように」というような強要はどこかにあったと思います。

そして、僕も母に一種の「自主性」の強要をされたからこそ、他人に自主性を求めるようになったということです。

限界に達しないと関心を向けない

うちの両親は、僕たちが限界に達しないと、関心を向けないという感じです。むしろ限界に達していても、それが表面に出てこない限り関心を向けることはありません。

だからこそ、僕は潰れるまで「頼られる存在」になろうとし、弟は暴れまわるということになりました。

いわば僕たち兄弟は、何かが足りない両親のもとで、祖父母という愛着に支えられある程度まで育ち、ある日突然、その支えを外され、精神が歪んだということになります。

父と母と僕たち兄弟ならば、おそらく最初から家族というものは成り立っていません。

元々、父と母は、「港」としての機能が不完全です。途中の人格の成長、親としての成長も部分的に祖父母が肩代わりしたため、本人たちはその器を成長させることができませんでした。

結局、祖父母が家を出ていったことのショックよりも、その前後でうちの両親が何もしなかったという「無関心」の方がショックだったということに気づきました。

なぜ、挨拶もなしに週6日で赤ん坊のいとこを預け、僕たちの憩いの場を奪ったおじさん一家に何も言わなかったのか?

祖父母がおじさん一家、いとこを取ったとしても、その分自分たちで何とかやっていこうとする姿勢はなかったのか?

中学生や小学生である僕たち兄弟の様子がおかしいことになぜ関心を向けなかったのか?

細かいところで言えば、おじいちゃんがやっていた掃除を家族全員で取り組むようなことを始めることはできなかったのか?

もちろん今となっては、こうした問題はなんてことのない問題だと思います。しかし当時はそうではありません。

そうした現実的な事実よりも、説明や説得の類がないというところが問題だったと思います。

僕は両親とも健在であるのに、なぜ井深大氏のお母さんの話にひっかかるのだろうか、そんなことを思ったりもしました。

ソニーの創業者井深大氏は、母子家庭ですが、彼のお母さんは働きに出る前に井深大氏を必ず抱きしめてから家を出られたそうです。「だから自分は大丈夫だった」というようなお話があります。

「働くお母さんたちは出かける前に子どもを8秒間抱きしめてあげなさい」というようなお話です。

そのお話になぜそんなに引っかかるのか、というところの答えはそんなところにありました。

働きに出かけるという事実は変えられなくても、思いを伝えるということの重要性を示しています。

本来さらにその手前に思いを持つこと、関心を向けることが重要です。

根本的な関心

弟がそこそこの大学に入学した時のことです。本人より先に父が合格発表を見に行って、弟や母に連絡したそうです。

弟は父を殴りました。

普通、合格発表は自分自身で見に行きたいですから。

結局父は弟本人のことなど考えていません。自分の楽しみ、有名大学に入った息子の父ということにしか関心がありません。

しかし、そこで父に関心を向けられたことを弟の心の深い部分は察知しました。それから、権威性のあるものにしか手を出さなくなりました。

それが届くこともあれば届かないこともありました。

蓋を開けてみると、深いところで単に「父の関心」を得れるかどうかというところに囚われているとしか思えません。

ある日、それに気づいた僕が弟に、「何者であろうが大切な気持ちは変わらない」ということを伝えると弟は大の大人にも関わらず泣き出しました。

弟は幼き日の僕と同じです。

ほとんど同じ環境に育っているので、本当に自分の鏡のようなものです。

もっともっと辛い環境の人もいると思いますが、そうした比較をするような問題ではありません。

僕たち兄弟の中で蓋を開けて見つめるべき問題であるというだけです。

感情の約束

行動の約束はできても感情の約束をすることはできません。

なので、関心を向けているフリをしても、それは関心が向いているということではありません。

ということで、関心を向けて欲しいということも思いません。

「結局そういうことなのだ」

ということを知るだけで十分です。

自分のせいでも、自分に頑張りが足りなかったのでもないということを知るというのが肝心です。

やや「グッド・ウィル・ハンティング」のような展開です。

本来トラウマは、それが見えないようになっています。指摘されても否定するような感じになります。

「いや、別に関心を向けられていると思うよ」といったように。

確かに関心が全く無いということはありません。しかし肝心な部分、根本的なところで無関心なのです。

そんな感じで巧妙に隠されています。

しかしながら、事実をそのまま評価しないと、原因不明のように見える現象が続きます。

当時精神の奥に仕舞い込んだことであっても、今ある程度精神が成熟した上でなら、整理をつけることができます。

無理に評価していたこと、理由をつけていたこと、美化していたことが無効化されます。

最低限、その分だけ緊張は解けます。

さらにうまくいけば

「なぜ、自分はあの時あの行動を取ったのか?」

ということの全ての流れに辻褄が合うようになります。

「なぜ、この現象にあれほど不安と恐怖を抱き、その現象には怒りを感じ、あの現象には強い悲しみを抱くのか」

ということが勝手にわかるようになったりします。

僕が深いところで人に物事を任せられないのは、「頼られる存在」によって親の関心を得ようとしていたこと、「どう頑張っても、理由もなしに壊れること、説明や説得もなく去っていくこと」への恐怖などが原因です。

だからこそ、自分に原因がなさそうなことで関係が壊れ、関係回復に頭を悩ませつつも結局別れてしまったかつての彼女たちへの悲しみと怒りが強力なのです。

このようなことが繰り返されるのであれば、人生自体を放棄したいとすら思いました。嬉しさがあっても、どうせ誠実さもなく壊れるのであれば、最初からいらないというような感じです。

現実的な本人としての父、母はさておいて、自分自身の「父」というもの「母」というものがそのような不完全さを持っていたということはなるべく受け入れたくありません。もちろん感謝の比重も大きいですが、「そのままの評価」をすべて上書きするほど脚色してはいけません。

もちろん他人が父や母を侮辱したなら真っ先に怒ると思います。

しかし、根本の関心の面では致し方ありません。

ないものはない、それだけです。

100対0、白と黒のようにはっきりしたものではありませんが、「子どもが必要とする分だけの『関心』」はない、ということになります。

それぞれの人達に、その行動の理由や葛藤はあったと思います。

しかしながら、やはり状況の説明や様々な調整などが一切なく、いきなり事が起こって、後は放置、というところに「関心の無さ」が見て取れます。少なくとも、当時の自分はもちろん今の自分が見てもそうとしか見えません。「関心の無さ」に限って言えば、後の弁明の余地はないと思っています。

あの日奪われた勇気を取り返す旅

自分自身のけじめ、そして現役で囚われている弟を救うべくという意図もあって、こうした点を母に伝えておきました。

2日程度ですが、全身から汗が止まりませんでした。眠りが深くなり、全身が全力で何かを回復させようとしているのがわかります。中学生当時から換算して約25年間の緊張がほぐれたということなので仕方ありません。もちろん、それよりも前から感じていた部分も含まれていると思います。

集中を作っておけば、一切の因果を無効にすることはできます。なので、この点を放置しても良かったのでしょうが、人として生きていくうえでけじめをつけておこうという面、そして弟を始め両親自身への慈悲も込めて一度地に落ちたという感じになるのかもしれません。

傷のあり方、形成の過程はわかりましたが、なぜ、そんな現象が最初に起こったのか、なぜそんな環境にいたのかはわかりません。わかりませんが、その部分はわかる必要がありません。

少なくとも今、原因不明に見える「繰り返される現象」や実際の苦しみが生じていることの方に着目し、その隠れた「因」を発見することの方が重要です。

Category:うつ、もしくはうつ気味の方へ

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