確かな助言

慰めを必要とする人々にとって、あらゆる慰めの手段の中で、君たちの場合には慰めになるものは何もないという主張ほど快いものはない。ここには、彼らが再び頭をもたげるような栄養がある。 曙光 380

正確な助言ではなく、慰めや協調のほうが重視されることがよくあります。

基本的には、真っ当な意見よりも相手が落ち着くような意見の方が重要視され、真っ当な意見を言った人も「そんなんだったら聞くな」とか「もう二度と助言などしてやるものか」という気分になります。

これは感情のフィールドと思考のフィールドを混在させているから起こる現象です。

ほとんどの人は、慰めを欲しているのだから、助言をする側もまず相手の気持を受け入れるということを検討する必要があります。

方便のような形で相手を受け入れる

本当はそんなことをしなくてもいいのですが、相手にメッセージをより良く伝えるのであれば、方便のような形でもいいので、まずは相手を受け入れてみましょう。

そうすると、ひとまず感情が落ち着くため、思考のフィールドで話ができるようになります。だいたい感情が高ぶっている時は頭も働かず、「自分を慰めるにはどうしたらいいか」ということにしか関心がない状態になっています。

助言する側は感情的になどなっておらず、理性でに対応しているので、まともな事を言っているはずですが、なぜか、相手に受け入れられず悶々とします。

「わかるよー」という魔法の言葉

同級生の友人で「わかるよー」を連呼している人がいました。

彼に聞くと、「魔法の言葉」だそうです。

それほどインターネットが普及している時代でもなかったので、おそらく何かの雑誌にでも書いてあったのでしょう。

その「わかるよー」を使うとナンパがうまくいくと言っていました。まあそういうタイプの人です。

「わかるよー」と言えば、物事がうまくいくことを、雑誌発端か何かで、実用的に使っていました。安物の人心収攬の術ですが、相手が十代の方など、まだ経験値の浅い人ならその言葉に響いてしまいます。

ナンパに使っているということが良いのかどうかはわかりませんが、声をかけられた相手自体は、そんな表面的な「わかるよー」にすら、なびいてしまうほど、感情で生きているということです。

「わかるよー」を駆使する策士

逆に考えると、それを見越して「わかるよー」とだけ言えば、相手はなびいてくると知っている策士もいるということです。

これはある意味で、相手をなめているということになりますが、問題は、策士の方にもありながらも、そんな言葉を真に受ける方にも問題があります。

クレーム対応なんかでも、ひとまず相手の言っていることについて「わかります」と言えとか、相手が言ったことをオウム返ししろとかそういうマニュアルみたいなのがあります。

考え方を変えてみてみれば、「そういう言葉を使えば相手は落ち着く」ということを逆手に取って、自分の都合の良いように誘導しているともとれます。

「ふん、わかりますと言っときゃいいんだろ」

とか

「とりあえずオウム返しにしてちゃんと聞いてますよアピールしときゃ終いに落ち着きだすよ」

という感じです。

マニュアル対応をひっくり返す

だから、以前苦情の電話を入れた時に、そうしたマニュアル対応をされたので、「そういうマニュアルに書いてあるようなことをしても、意味がありませんから、真っ当に対応してください」と言いました。

相手は、その時点で為す術を無くします。

そうなると、心理的なパワーバランスは圧倒的にこちらの方が優位になります。

もし、何かそういうタイプの「魔法の言葉を使ってくる人」がいたら、あえてそれを崩してみるのも面白いかもしれません。

ただ、本当に真心で理解しようとしてくれているような人にはしてはいけませんよ。

動機の奥底が見えればそれを憐れに思う

同情と共感

確かな助言 曙光 380

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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