相手の空間に飲み込まれると調子を崩す

相手の空間に飲み込まれると調子を崩す、ということで、少しだけ「人との深い関わり」の続編を進めていきましょう。

振り返ると「調子が悪いなぁ」とか「何をやってもうまくいかない」という時、たいていは誰かの空間に飲み込まれていて、自分本来の思いや意図からは外れていた時、という感じなっています。

相手の提案に乗ってみるということはいいですが、行き過ぎるとどんどんツキがまわってこないというような感じになっていきます。

「あ、終わった」と思った瞬間

「起業してから廃業して大企業に新卒で就職することはできないが、反対に大企業に新卒就職してから、やめて起業することは簡単にできる」という提案のもと急にやり始めた就職活動の時期のことですが、二社目で内定が出た時に、就職活動を提案してきた人に報告すると、「同業種の別の会社も受けてみよう」というようなことを言い出しました(苦しみへの勇気)。

「もういいかげんにしろ」

と思ってしまいました。

その時、その人との関わりに関して、

「あ、終わった」

と思ってしまいました。

そしてちょうどその頃に、その人の提案で「業界で持っていればプラスになる」というか「入社後、出世のためには必要とされる某資格」を取るための願書を出していたりしました。

試験自体は数ヶ月後でしたが、一応その人も別会場で受けるということだったので、試験後に大阪で合流するという感じになりました。

僕の試験会場は郊外であり、初めて行くようなところでした。

そして試験後に電車に飛び乗ったのですが…

同じ南行きのホームではあったものの、電車は大阪方面、奈良方面に交互に来るような感じで、僕が飛び乗ったのは奈良方面に行くような電車でした。

就職活動の辟易を経験した後、それ以前の「自分自身の成功法則」であった「あまりよく考えずにすぐに行動する」というような癖を取り戻したくて電車に飛び乗ったのが仇となり、結局合流場所には1時間以上遅れて到着することになりました。

勘違いで遅刻した言い訳のようになってしまいますが、「あ、終わった」と思った感想通り、本当に終わっていたのでしょう。無意識がそうさせたとしか思えませんでした。

といっても遅刻した事実は変わりなく、もちろん相手には悪いので、僕も意気消沈につぐ意気消沈でした。

まさに「調子を崩す」というようなことがはっきりと示された時でした。

直接は相手のせいではありませんが、相手の空間に飲み込まれていたことによる調子の狂いの結果というような印象がありました。

本来の思いや意図からは外れていく

そうして本来の思いや意図から外れていくとツキを逃してしまうようになります。

「今日は何をやってもダメだ」という感じになっていきます。

ビジネスであれ家庭であれ、バンドや芸のコンビのようなものであれ、パートナー等々の「相手の空間」に飲み込まれ、意図の阻害のようなものが起こると、物事はどんどん悪い方向に向かっていきます。

直接的な対人関係だけでなく、関係ないようなことまでどんどん調子が狂ってきます。

相手に気遣うということは良いですが、相手を機嫌などをうかがいだすとどんどんツキが離れていってしまいます。

それは意志決定だけでなく、実行のタイミングなども狂ってくるからということが関係しているような気がします。

調子の波が下降線の時こそ意図的に気持ちを落ち着かせる

人には調子の波があり、自分が悪い時に相手は調子がいいという場合があります。

当然ながら調子の波が下降線をたどっている時、相手の空間に飲み込まれやすくなります。そしてその時に、相手が無意識レベルでマウントを取ってきます。

今までの経験則的なものですが、その時に調子が悪いからと相手に何かを一存したりすると、相手の空間に相当飲み込まれ、どんどんツキが離れていきます。

なので、そうした時は少し距離を置いて意図的に気持ちを落ち着かせるということをした方が賢明です。

あくまでも「波」なので、何度か寝て起きてを繰り返すだけで、ある時若干は調子が盛り返してきます。たくさん寝たり、歩く速度を速めて歩いたり、うまいものを食べたり、温泉に入ったりするとその波は戻りやすくなります。

そうして戻るまでの間は、可能な限り影響を与えられないようにしておくと、軽くかかったマウントを逆転させることができます。

相手としても悪気はないのでしょうが、どうしてもそのようになります。

それは相手との闘争という感じよりも、自分のペースや行きたい方向を乱されるかどうか、ツキを掴むことができるかどうか、というところに関係しています。

それらは本来自作自演です。

しかしながら、精神の状態や調子を安定させるのに「弱気になって相手に委ねる」ということを自分の内側でやってしまっているのかどうかという部分で、アイツの範囲なりに少し冷静に対処しておいたほうが無難であるというような感じになります。

「相手のため」に関する逆説的現象

ちなみにですが、とりわけ自分がオスで相手がメスの場合は、大半のケースで「相手のためを思って手伝いすぎると好意が下がる」というパラドクスまで待っています。

「誠実」という若き男の悩み

相手に合わせたり、手伝ったりということは一種の慈悲的行動のはずですが、最初は多少のありがたみを感じても、それが続くと「都合がいいだけ」であり、敬意ではなく「当たり前」が生じ、「自分の言うことを聞くような人間は価値が低い」というようなことを思ってくるという残念な逆説的現象が起こるということです。

それは非常に残念なことですが致し方ありません。

世を見渡してみると、相手に合わせ、よく手伝っている人ほど、相手にナメられている姿を確認できるはずです。逆に、自己中心的に見えるような人ほど、相手に惚れられていたりします。

個人的にはそうしたことは残念ですが、そのような無意識レベルでの精神の働きに気づいている人は結構稀です。

ただそれは本来、心の奥底で「相手の空間に飲み込まれているかどうか」というところが関係しています。

行為そのものではなく、その行為の裏にある「弱気」が関係しているというような感じです。

どうしても取り戻したかった感覚

Category:miscellaneous notes 雑記

「相手の空間に飲み込まれると調子を崩す」への6件のフィードバック

  1. こんばんは。またコメントを残させて頂きます。
    丁度今の僕にピンポイントな感じの記事でした。
    2つありまして1つ目は保険の営業についてです。
    うちの職場に来ているんですが僕にも保険に入るかどうかという打診が来て実際にこの前その営業さんと話しました。
    もとより入るつもりはないと言ったのですが流石は向こうもこの道数十年の方で簡単には折れません。僕も方針を転換して後学の為にどんな形で保険の営業さんは話しを進めるのかが気になり次回また会うという形で保留にしております。保険には入らないという形で公称の場の空間は渡さないという僕の意図は結果として僕の方針転換も相まって向こうに流れた感じがします。何だかそれからは僕の調子が崩れた感じです。
    2つ目は「「相手のため」に関する逆説的現象」の部分です。僕自身家庭の環境が1番の要因なのだと思うのですが、小さな頃から相手の顔色を伺う傾向が強く今でもそれは大きいです。色々相手のことを考えます。そしてふと、手伝ったり気を回しています。自分でも言語化が思うようにできませんが気づいたらそうしている感じです。仕事でも女性関係でもです。だから特に女性関係では上手くいかないことばかりでした。
    「相手のナメを生んでしまう」というのは非常に感じ入りました。僕にはそんな意図も生ませているつもりなくとも相手には生まれてしまう。僕自身は嫌われたくなくてとか、自分で選択したくなくてとか勇気が出なくてとかいう考えではなく、なんというか無意識のうちにそうしているのです。
    きっとそれでも弱気なんだろうなと思いました。若干また精神が揺れ始めました。それでも「ソレ」はいつでもそこにあるということを忘れないようにしたいと思います。

    1. コメントどうもありがとうございます。
      影響されていることに気づくことができれば、「影響からの逃れ」がスタートします。
      ただ、やはりどこかで引っかかりが生じたりもするので、その時はどこかに潜む「弱気」に気づくということが重要になってきたりします。もちろん強がりや空元気は必要ありません。

      保険の営業さんについては「押したらいける」という程度の感覚でしょうし、結局そういう人は、自分の数字にしか興味がないですから、相手に気遣ってもしばらくするとそうした出来事すら忘れているくらいの感じだと思うので、本当に適当に扱ってください。
      相手は「数撃ちゃ当たるの『数』」くらいにしか思っていませんし、いくら嫌われても大丈夫だと思います。思うままに、思いっきり断ってください(そんなことすら相手はすぐに忘れます)。

      2つ目の方ですが「嫌われたくなくてとか、自分で選択したくなくてとか勇気が出なくてとかいう考えではなく、無意識のうちにそうしている」というのはすごくよくわかります。

      僕個人としては元々怒りが強いので「対極にあるような人たちと同じような人間になりたくない」といった思いも潜んでいると思いますし、自分の今までの行動との一貫性を保ったりであるとか、自惚れでもなんでも無く「それが普通」という基準が元々あったりであるとか、そうしたものが潜んでいたりすると思っています。

      ただ、自分のそうした思いのみに着目し、相手の気持ちに生まれる「軽視や怠慢」を無視しながら、何かしらをやり続けることは、良好な関係や相手の自立心を奪うことにもなります。
      なので、それを無視し続けることもまた一種の弱気ということになると思っています。

      1. ご返信ありがとうございます。
        保険屋さんに関してはきっとしつこいと思いますが、ここでも柳に風な対応でおしまいにしようと思います。もとより入るつもりがないので。
        元々いろんなことに気づきやすいというのもあるのかもしれません。そしてついそれに対処してしまうのだと思います。
        「対極にあるような人たちと同じような人間になりたくない」というのも当然ありますね。ただ、思考の結果ではなくやはり気づいたら、無意識でというのがしっくりきてしまいます。
        だからこそ仕事ではいいように使われ、女性はトキメかないのでしょう。
        一方で「自分がされて嫌なことは他人にしたくない」という気持ちもあるように思えます。僕は他人に命令されたくないし、自分のことは自分で決めたい性格が強いです。だから一々気を回すのもそれゆえのものであると思っています。
        ここから追記
        しかし、これは結局他人になんらか指示を出しているように思います。「自分がされて嫌なことは他人にしたくないから、その他人に気を回す」という自分がされたくないある種の命令。まだまだ自分はわがままなんだなと思いました。
        昨今、未だに「モテない男はダメ」「貯蓄型保険が良い」などの広告や動画が目に入ることがありますが、そのような相手の空間に影響を受けぬよう己の心を静観したいと思います。
        長々とすみません。

        1. 再度コメントありがとうございます。
          (一つにまとめさせていただきました)

          「他人に命令されたくないし、自分のことは自分で決めたい」という気持ちは僕も強く、相手もきっとそうなのだろうと思って長い間過ごしてきましたが、「自分のことを自分で決められない」とまではいかなくても、ある程度人に決めてほしいと思っている人たちも結構いることにある時気づきました。

          まあそれが事業主対従業員の比率を構成しているという感じになっていますし、そうした感じが会社等々の組織を成り立たせているという面もあると思います。
          (もちろん従業員の中でもその「自分で決めたい率」は千差万別で、不服な感じで過ごしている人もまあまあいます)

          相手に対する弱気というものより、自分がどうしたいか、どうありたいかという意図に対する弱気というのが最も根本に潜んでいるものであると思います。

          なお、「モテない男」とか「貯蓄型保険」等々、そうした文言に影響されそうな時は、それに抵抗するよりも、本質的な部分を中立的な客観視点で調べ尽くして考え尽くすというのが遠回りなようで一番ラクなやり方であると思っています。

          1. ありがとうございます。
            今回の場合は敵を知るならまず己からという感想を抱きました。まだまだ自分というものが見えていないみたいです。
            特に「自分がどうしたいか、どうありたいかという意図に対する弱気」という部分はストンと心に収まりました。自分をもっと信じて可愛がってやりたいです。と、同時にそういえば最近ちょっとずつやれているんじゃないかとも思っています。気がついていてしかし無視をしていたけどやってるじゃん俺。あれもこれも実はそうなんじゃないか?といった感じです。
            今回はそれを言語化して頂いて少し自信につながりました。ありがとうございました。

            1. コメントどうもありがとうございます。
              どんなときでもなるべく軽く、面白く、楽しく、それでいてなるべく抑え込まないような感じで、全体構造を客観視しながら選んでいっていただければと思います。

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