早口に沢山のことを口にする人間は、ほんの短期間交際しただけで、たとえ彼がもっともなことを口にするとしても、われわれの尊敬を異常なほど大きく低下させる。 曙光 225 前半
早く多くしゃべることは、マイナスだとよく言いますが、早く多くしゃべることには、その奥に様々なタイプの動機があります。マイナスになるのは印象ですが、間を埋めて、相手が理解する前に、何か別の話題に切り替えようというものから、要約力がないというものから、必死の暑苦しさまで様々です。急速に軽蔑される手段ということになりましょう。
早口で話すことついては、ただそれだけで非難されることではありません。あくまでその奥にごまかしや渇望感があるような感じが垣間見れた時に軽蔑されると言うにとどまります。
それどころか世の中では「早口で話されるのは嫌だ」という頭の回転の遅い人のために、話す速度の速い人が逆に非難されることがあります。頭の悪い人のために頭のいい人が非難されているというような構造になっています。
「早口で話されるのは嫌だ」という頭の回転の遅い人
「早口で話されるのは嫌だ」という場合、聞く側の頭の回転が遅いだけという場合もあります。
ただ、それを読み取って調整できることが聡明だ、という事にもなりそうですが、こう言った格言を根拠に自分の頭の悪さを棚に上げて、相手のペースというものを非難するというのもまた、急速に軽蔑される要因でもあります。
まあコミュニーケーションの領域になるので、「意志が伝わってこそ」ということにはなりますが、自分の頭の回転の遅さを棚に上げて相手を非難するのはいかがなものか、という感じです。
早くしゃべることがマイナスだからといって、それを非難しているのは、相手の言うことをすぐに理解できない頭の回転の遅い人です。
頭の回転の遅い人が経験したイライラを「就職面接の時の心得」として、「ゆっくり話そう」と変換しながらぶつけています。相手の理解ペースを読み取ることもいいかもしれませんが、自分のもっているテンポというものを「ダメなものだ」と思うのは間違っています。
渇愛的に話したがる
しかし、いつもいつも早く沢山のことを「話したがる」のは、何か愛情的なものを求めているような気持ち悪さがあります。愛に対する渇望感という醜さです。
そこで得た「気持ち悪さ」はたしかに気持ち悪いものです。愛を渇望しているかのごとくたくさんのことをべらべらと一方的に話されたり質問されたりします。
沢山のことを話したがる動機について聞いてみると、「兄弟がいないから」というようなことをいう人がいます。しかし、兄弟がいないことはこちらと関係ありません。
こちらの辟易も無視して自分の「寂しさ」をぶつけられても困ります。それが、一見正しそうな話ばかりの時も、たとえば有名企業のオーナーなどであって、会社経営に関する有用な話だったとしても、渇望感からくるたくさんの連れ回しは拒絶せねばなりません。犀の角のようにただ独り歩むべきです。
ということで愛の渇望感全開で話してくる感じは急速に軽蔑されてしまうかもしれません。
「教えてやるよ」というお面倒
また、「教えてやるよ」と言って、こちらが聞いてもいないのに、たくさんのことを語ろうとする人がいます。
そして教えたのだから、こちらが先輩で、おまえが後輩という上下を作ろうとする人もいます。教えた側は先輩で教わったお前は後輩だというような発想です。残念ですが、別会社なのにそんなものは発生しようがありません。
これは一方的に語られているだけで、ありがたくもなんとも無いからです。
そんな「かまってくれ」という人には「祇園にでもいってこい」と言わねばなりません。
急速に軽蔑される手段 曙光 225
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