呪文・そもそもはない

先の続きになりますが、「ない」を「ある」対義語として認識していることに苦悩の元凶があります。

何がなんだかサッパリわからなくなるのは、長い時間かけて洗脳された「ある」に縛られているからに違いありません。「そもそもはない」何度も繰り返し、そうつぶやいてみましょう。一日1回、いやもっと。

呪文「そもそもはない」を何度も繰り返しつぶやくことは、心の動きを見るのにすごく役立ちます。

「ないと困る!」

「いやいや現に目の前にあるじゃないか!」

そういう反発があるかと思います。

自我が一生懸命に猛反撃してきます。

なんだか、だだをこねるかわいい子供に見えてきます。

こんなことを言うと自分を二者化して、自我と戦ってしまいそうですが、自我も自分です。

戦ってはいけません。

「GT-Rが欲しい!」と駄々をこねてきたとしましょう。

ふんふん聞いてやると、「運転技術を高めたほうがどうのこうの」「アテーサETSの特性の素晴らしさ」「買い物にも行ける」など、いろいろ言ってきます。

「買わないとせっかく取った免許が無駄」「しばらく運転しないと運転が下手くそになる」などマイナス面の脅しのようなこともしてきます。

でも、本当の理由は、友達に自慢したかったり、異性に見せびらかしたり、イニシャルDの死神に憧れているだけかもしれません。

そこで、そんな理由を並べられただけで買い与えるでしょうか。

大抵は「ノー」だと思います。

でも子供のことは愛しいはずです。

自我ともそんな風にやっていけばいいと思います。

少し本題とはずれましたが、「そもそもはない」です。

そんなことを言うと、「そんなの虚しい」と言い返されたりします。

そもそもはありません。

あると思い込むことによって、得ているのは楽しさや喜びだと思います。

そして失うことを恐れだします。

「必要なもの」を設定して、それが「ある」と思い込んで、それを根拠に自分を安心させている状況は、あくまで、自分で穴掘って自分で埋めている行為です。

「大変だ!なくなった!」と騒いでも、それは自分が穴なんか掘るからです。

傍から見れば、すごく馬鹿げています。

一度、自分を傍から見てみてください。

自分も含めたすべてが「そもそもはない」というのに。

改バージョン⇒呪文・そもそもはない 改

Category:さよなら私 / 自分なくし

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