もちろん主役は自分です。
ただ、普通に考えると自我の範囲のみでしか物事を考えられません。
それは仕方ありません。
たとえば、「人のお役にたつんだ」と考えてみても、「人に与えた分だけ自分に返ってくる」とか考えても、自我の範囲で考えて、「すごい金持ちが言っていて、自分も金持ちになりたいから」というスケベ心でやっているのが本音でしょう。
「損しているように見えてもいつかはお返しが返ってくる」と利益的なものを求めているに過ぎません。
そんなことを思うくらいならやらないほうがいいでしょう。
右の手のしていることを左の手に知られないように
右手がしていることを左手に悟られないようにしなければなりません。
別に命令でもなんでもなくて、意味がわからないことはやらないことです。
ただ、きっかけとしてはいいのかもしれません。
福音書に次のような記述があります。
あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
ブラック企業に限って慈善事業に寄付していることをアピールします。黒い部分を覆い隠すための善人面という感じです。
これは単に慈善事業を踏み台にしているだけです。
そのようになるくらいなら、ドブにでも捨てたほうがいいはずです。
前の列を跳ね除けてまで拝むおばさんの群れ
昔、たまたま寄った寺で、前の列を跳ね除けてまで観音に拝むおばさんの群れがいました。
何がしたいのかさっぱりわかりません。
結局「自分だけは地獄行きを逃れたい」ということでしょうか。「私が私が」感が満載です。
地獄や神仏などの存在を主張する気は毛頭ありませんが、もし仮に、観音がいたとすれば、そのおばさんのような行動をとるかどうか、考えてみればすぐにわかります。
店員さんに悟られないように募金
たとえば、コンビニのレジに募金箱があったとしましょう。
店員さんには気づかれないように、万引きをするかのような心持ちで、店員さんに悟られないように募金箱にお金を入れてみてください。
すごく変な気分が味わえますよ。
改バージョン⇒主役降板 改
最終更新日: